靉光
 このページの下部に置いてあるのは田中が大学時代に書いた文章(卒業論文)です。僕は大学時代、文学部の美学美術史学専攻にて、主に日本の近現代美術史学を勉強していました。中でも特に大好きで興味があったのが、第2次大戦で徴兵され上海で亡くなった画家・靉光(あいみつ。この名前は雅号です。本名は「石村日郎」。れっきとした日本人です。)で、卒論では彼の作品と生涯を取り上げました。
 自分が靉光に魅かれたのには、勿論まず第一に彼の絵が好きだったということがあるのですが、同時に、僕自身に靉光と似ているところがあって、彼の作品に何らかのシンパシーのようなものを感じていたから、というような理由もあったのではないかと思う。それは勉強をしていくうちに徐々に実感していったことでもあります。僕が持っている才能や力量は、靉光には到底及びませんが、。でも靉光も「天才」ではないと思う。
 なぜ急にこんなところでこんなもの(卒論)を公開しようと思ったかというと、最近気になった色々なニュースについて、ネット上で何らかの「自分の意見」を発したくなったからです。気になったニュースというのは直截にいえば主に集団的自衛権関連の諸問題。(あと池袋がヤバいとかワールドカップ後のスクランブル交差点の痴漢問題とかも気になるけど…)
 自分の基本的な立場としては、集団的自衛権の行使容認についても、それに向けて憲法解釈を修正していくことにも反対です。が、かといって、そういった流れを推し進めようとする人たちを説得できるほどに、自分がこれらの問題を深く理解できているわけでもない、。ネットやテレビを見ていると、「この情報を拡散して、少しでも平和な世界を目指すことに貢献したい」と思うような情報に触れることがたまにある。でも例えば、ツイッターで凄く鋭くて有意義(に見える)なことを言っているツイートが目に入ったとしても、自分にはそれをリツイートすることがどうしてもできない。ネットでもテレビでも、自分の知らない場所から発信されてそのような経路で入ってくる情報を鵜呑みにすることが自分にはできないし、なるべくそうしないようにしている。(ジャコ・パストリアスの素晴らしい演奏の映像などはすぐ鵜呑みにしてしまうけれど。)目に触れた情報の正誤や是非を自分なりに判断するしっかりした知識や技術を持っていれば良いのだが、それが及ばない時の方がずっと多い。そして「大きな情報」に触れる時、そういうことばかりが気になって、他人が発信している知識や意見を、自分の考えの中に素直に取り入れたり援用したりすることができない、という感じ。極端な場合には、そのような画面に映る、自分が会ったことのない人や行ったことのない場所、といったものの中には、本当は実在していないものもあるだろう、ぐらいに思うようにしている節さえある。そしてその上で、自分の知っている世界と自分の知らない世界は、およそ0:∞の割合で存在しているということを忘れずに生きていきたい気がする。
 また同時に、多少分別がつくようになってきた頃(恥ずかしいけれどほんの数年前かも知れないし、或は未だに分別なんて持っていないかも知れないけれど。)から、世の中、あるいは「大きな世界」の範疇における出来事に対しては、政治の流れでも文化の分野でも、どんな下品なニュースがあったとしても、基本的に自分はそれらにはノータッチで居る(特にSNSのような空間においては)、という姿勢を取るようにしてきた。社会に生きる人間として無責任だったり怠惰だったりする側面があることは否めないけれど、そのぶん自分は、手が直に届く身近な人たちとの関係を親密に育んでいくことだったり、ものを丁寧に長く使ったり、古い記憶を大切にしたり、そういう世界とは違う次元にある作品をちっぽけでも作っていったり、といった形で、自分の「考え」のようなものをアウトプットしていきたい、ということを想ってきた。
 自覚している部分/無自覚な部分共にたくさん未熟で甘いところがありながらも、特に3・11の震災後には、上記のような矜持に基づき、自分なりに色々考え勉強し、行動しながら生きてきたつもりだ。
 ただ、今月冒頭の新宿での焼身事件や国民的アイドルの自衛隊CM(それらを巡る報道や情報の流れ等を含む)あたりから、そんな風に生きてきた自分でも流石にヤバいというか気が滅入るというか…取り返しのつかない事態に陥って後悔する前に自分も何か今までとは違うことを言ったりした方が良いのではないか、というかそんな事態に陥らせないために、どんなに僅かな力にしかならないとしても、何か自分なりの行動をするように心がけていった方が良いのではないか、という気が何となくしてきた。
 こういう気がしてきたのは、単に上に挙げたようなメディアの影響だけではない。自分にとって決定的だったのは母の姿。焼身事件があった日、自分の住んでいる区の区長選と補欠議員の選挙があった。母は、震災や原発・戦争といった社会が抱える問題に対し、一市民として自分なりに真剣に向き合い、選挙にも自分の考えをしっかり持って毎回ちゃんと意識的に参加しようとしてきたような人だ。そういうことに関しては、諦めや後ろ向きなことを言っているのを殆ど聞いたことがない。しかしこの日母に「選挙行った?」と聞くと、母は「あんまり行く気しない、、、もうどうにもならないような気がして」というようなことを言った。これが自分にとって「これはもしかしたら本当にヤバい時代に入ってきているのかもしれない」と思う大きなきっかけになった。60年近く生きてきた尊敬する母の言葉を一つの判断の基準にする、というのは先述の自分の矜持にもストレートに合致するものである。母はそう言いつつも夕方ちゃんと選挙に行っていたが。
 余談だがこの日、補欠議員の当選者3人のうち、2位と3位は自分の応援していた候補者だった。補欠議員の1位当選者と区長当選者は自分の応援していた候補者ではなかったが、今回の選挙で「自分の応援していた候補者が当選する」という経験を自分は初めてした。これは自分にとって少し希望を感じられる出来事だった。
 話が少し長くなってしまった。そのようにして僕は「たとえ消しカスのような力しか持たなかったとしても、自分も何かしていくべきなのかも知れない」と前より強く思うようになってきたが、しかし相変わらず全然知らない人のパリッとしたツイートやウィキペディア、ネットニュースの情報などは殆ど信じることができない。ではどうしたら良いのか。「自分の考え」を「自分が自信を持って放てる言葉と内容」で語るにはどうしたら良いのか。そういうことを考える中で、「戦争」というものから真っ直ぐに連想したのが、自分が大学で取り組んだ靉光研究だったというわけです。
 学術的価値などは言うに及ばず、稚拙な部分が目立つ決して完成度が高いとはいえない(というか低い)文章だが、「靉光」という画家がどのような人生を生き、どんなことを考えてその果てにどのような作品を生み出し、そしてなぜこの世を去らなければならなかったのか、ということの概要は分かると思う。僕が言うまでもないことだけれど、靉光という画家は日本の近現代の美術史において、極めて興味深く注目すべき人物である。
 この論文の内容は、先述したような「いま現在進行している時代の状況」と直に繋がる部分ばかりではないが、靉光の生涯と生き様は「今の状況」を考える上で参考になる部分やシンクロする部分が多いように思うし、また自分がこれまで「芸術」というものについて感じ考えてきた多くのことを込めた文章でもある。これを公開するという行為を、現在の「自分の意見」としたい、そしてあわよくば、物凄くちっぽけなことだったとしても何かに繋がれば良い、と思って載せることにした。
 こんなこと(卒論の公開)をしてみようと考えたことが、劇場的・短絡的な正義感に先走った若気の至りだった、と笑えるような未来がきてくれれば何ら問題はないのだが。ただ、そのような未来が来たとしても、今からたった68年と半年前に、靉光という素晴らしい画家が戦争に出掛けなければならず、そして二度と作品を生み出すことはできなかった、という事実は変わらない。自分は靉光に会ったことはないし、先の大戦を自分の身体で経験したわけでもない。しかし靉光が遺した作品群は、彼がかつて確かにこの国に生きていて、そして確かにそのような時代があり、そして「戦争」というものは本当に起こりうるものなのだということを2014年の自分に疑いなく信じ込ませるだけの力を持っている。
 数年前のライヴで小沢健二さんが、「今は短い文章の時代」というようなことを言っていた。ツイッターの140字という上限に代表されることだけど、文章や言葉に限らず、「VINE」というSNSの6秒という時間制限などにもこの時代性は看てとれる。視覚でも聴覚でも何でも、「短いもの」に対する人々の指向性が過剰に強くなってきているような気がする。逆にいえば、「長いもの」に対する理解力や免疫力が弱まってきていると感じることが多い。
 小沢さんは確か「短い文章には、山道をソリで勢いよく滑るような快感がある。しかし長い文章には、険しい山道を一歩一歩登って行く時のような快感が…」というようなことを言っていたと思う。勿論、長いもの/短いもの、どちらが絶対的に正しい、ということは無いし、僕は「短いもの」の凄さも十分に知っている。しかし、僕自身はどちらかといえば明らかに「長い」側の人間であるし、上記のように「短さ」を極端に指向する現代性に違和感や居心地の悪さを感じることがこの頃多い。自分が書いた靉光に関する論文も、それを紹介しているこの文章も、「今の時代」にストレートに鋭く切り込むには冗長で無駄が多いものだと思う。ただ、ここに書いたようなことはどれも、今の僕が確信を持って言葉にしてきたことだ。そのようなものでなければ、僕は何かを「自分の意見」にすることはできない。僕はウナギの寝床のような物事が基本的に好きだ。
 最近しゃしくえの新しいサイト(このページです)を作ったのには、そういった世間の「縛り」が届かない自分だけのネット空間を確保して、自由に色々なものを載せていきたいと思ったから、という理由もある。そこでサイト内に「GARDEN」というページを作った。これから何か思い付けば少しずつ色々なものを増やしていきたいと思う。

 

 ちなみにこの卒論の大半は、靉光という画家の作品に用いられている絵画技法と、それに関する先行研究の引用および分析を中心に書かれています。そういう話に特に興味が無い方は、序論/第2章第4節/第3章第2〜3節/結論/あとがき、あたりを飛ばし読みしてもらえれば、多少コンパクトにこの文章の論旨を掴んでもらえるかと思います。
 そして「公開」と言いつつ、諸事情によりデータファイルにはパスワードが設定してあります。興味を持って頂いた方は、お手数ですが、メールその他でご連絡くださればお教えします。お気軽にお問い合わせ下さい。
田中:GIBSON-EB0@JCOM.HOME.NE.JP

 

文章は以下のリンクからダウンロード出来ます。

 

「靉光はどのような画家か」

 

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*ここまで書いてきたことは、しゃしくえと云うバンドの総意、などというわけでは全くなく、あくまで田中の個人的な意見です。

 

 2014.7.9 TNK

 

以下すべて靉光の作品。
《シシ》1936 年、油彩・キャンバス、144.5×228.0cm

《シシ》1936 年、油彩・キャンバス、144.5×228.0cm

1938 年、油彩・キャンバス、102.0×193.5cm

《風景(眼のある風景)》1938 年、油彩・キャンバス、102.0×193.5cm

《作品》1941 年、墨・紙、24.8×20.0cm

《作品》1941 年、墨・紙、24.8×20.0cm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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