風
   

 

1.恐竜はどこへ行ったのか? Here is the Dinosaur 2007
今作で最も古い、というか多分自分が人生で初めて作った曲です。僕がギターを始めたのは高1の時なのですが、それ以前に中1の頃からベースを弾いていました。で、この曲の基本となるフレーズはギターを始める前、中3の頃ベースで作ったような気もします。シンプルなコード進行/フレーズが少しずつ形を変えながら展開していく曲で、すごく単純な造りではあるのですが、それとは裏腹に自分の中の曲想はかなり壮大なもので、密かに気に入っている曲です。尺が長いのと、ドラムが無いと少し演奏しにくいのでライヴで演奏することは稀ですが、。
タイトルはドラマ『世にも奇妙な物語』から。佐野史郎さんと松下由樹さんが主演のエピソードです。現在YouTubeなどでも観ることが出来るので、興味をもたれた方は是非。と言っても、実は『私は何も考えない』と同様、この曲の内容と原作のドラマはそこまで関係がありません。
自分は小学生の頃からこのドラマのファンで、今でも放送に気付いた時は必ず観るようにしています。過去作品も観てみたいなと思うことがあるのですが、あまりに多数の俳優が出ているために権利関係の問題が難しく、DVD化などが難しいのだそうです。で、観ることは出来ないのだけど、過去にどんなエピソードがあったのかだけでも知りたくて、中学生の頃からネット上で過去作品のアーカイヴなどを眺めたりしていました。その中で印象に残っていたのがこの作品だったわけです。一度も観たことがないのに、『恐竜はどこへ行ったのか?』というタイトルと、「絶滅の危機を察した恐竜が異次元空間に脱出する」というネット上で読んだ粗筋が強く心に残っていました。その感覚から詩を書き始めた曲です。YouTubeで本家の作品を観たのは数年後、曲がすっかり出来た後でした。
この曲のテーマはシンプルで、「時間」です。とある部屋でとある2人がのんびりとお茶を飲みながら「恐竜はどこへ行ったのか?もしかしたらこの部屋の押し入れの中に暮らしているのかもしれないよ」というような話を始めて、時間の流れというものはどんな風になっているのか、自分が当たり前だと思っている歴史や物事に対する認識、古い記憶は本当に正しいものなのか、みたいな深遠な話へと広がっていきます。で、話が色々膨らんだ末「途方もないから大福でも食べよう」というオチに至ります。そんなストーリーが前半の歌詞にはあります。
「自分たちが生きている時間」以外にも、この世界には、或はこことは違う世界には、間違いなくそれとは別の時間の流れが存在しているはずで、それらが交錯するのは流星のように一瞬かもしれないけれど、その後も全ての時間がどれも穏やかに流れていってほしい、というような気持ちを込めた曲かもしれません。
サビの「道の外れは一堂に会する」という歌詞は、藤子・F・不二雄先生の『パラレル同窓会』というSF短編から影響を受けたものです。この作品は「人生のあらゆる節目で分岐したたくさんのパラレルワールドに住む自分」が一生に一度だけ大同窓会を開き、枝分かれしたたくさんの自分が一堂に会する、という物語です。
録音やミックスに関しては、なかなか苦労しました。恐らくアルバム中最もトラック数の多い曲の1つで、120トラックほどを使った気がします(ちなみに100トラック超の曲は全18曲中7~9曲程度かと思います)。
ピアノはやはり即興を何テイクも録り、その中からフレーズを抽出したり切り刻んだりして繋げています。
1番のサビに分厚いストリングスアレンジが入っています。ムソルグスキーの『キエフの大門』のようなイメージにしてほしい、と頼んで大福さんがアレンジ・演奏してくれました。『家族の箱の中庭で』のイントロと並んで、大福さんの手腕が前面に出ている点です。
曲のクライマックスでクラスター(音がごちゃまぜ・飽和したような状態)になる部分があるのですが、各楽器かなり滅茶苦茶な演奏を即興的にたくさん重ねて、更にピッチや音色をDAW上で歪めました。ピッチの歪んだ、平均律から外れた音の快感、というと自分が最初に思い浮かぶのは服部峻の『Humanity』に代表される作曲技法で、実はこの部分は密かに自分なりの彼へのオマージュになっています。と言っても彼の場合は独自のちゃんとした体系的な作曲技法として「音律を変える」ということを行なっているので、オマージュなどと言ったら怒られるかも知れませんが、。
このカオスなクラスター部分が明けた後、ドラムとベースが抜けて、目の前がパッと開けるように音響空間が広がる場面があります。このアレンジはミックスで試行錯誤をしながら思いついたもので、あるパート(ドラムとベース)を丸々カットしてしまう、という手段を使ったのはアルバム中でここだけだと思います。なかなか効果的にできたのではないかと気に入っています。
あと途中で大福さんが恐竜の鳴き声を真似したものを多重録音した箇所があります。他の曲にもところどころ登場しますが、声優としても活動している大福さんは本作でもたくさんの声色を使い分けて作品を彩ってくれています。「広範に渡る音楽・文化ジャンルからの影響が感じられるバンド」というのは世の中にたくさんあると思いますが、そこに「声優」という要素が入っているのはなかなか珍しいのではないかと…それは今作におけるしゃしくえの大きなアイデンティティの1つだと思っています。

 

 

2.大冒険と冒険 Big Adventure & Adventure 2012
今作で最も説明しづらい曲のような気がします。僕の作曲・作詞方法には特に決まった工程やノウハウのようなものは殆どなく、出来る時は自然に出来るし出来ない時は出来ない、という感じなのですが、ストックしてあるギターのフレーズや歌詞の断片を繋ぎ合わせて1つの曲にするようなことがたまにあって、これはその最たるものです。
1A-1B-1C-2A-2B-2C-コーダという構成の曲で、A/B/C/コーダ、4つの全然違う雰囲気のパートをフランケンシュタイン的に繋げて出来ています。この4つの繋がりには自分なりに何となく根拠がありますが、元々はかなりバラバラに生まれたものです。歌詞も同様で、ストックを繋いだりその間を埋めるようにして1つの詩に仕上げました。曲も歌詞も、理性的にではなくかなり感覚的に繋いでいった感じだったので、「意味」に関しては自分でもよく解らない部分が多いです。
『大冒険と冒険』というタイトルは、ある時点でハッキリと浮かんできたものです。始めは言葉の響きだけで、冗談のような意味合いが強いタイトルだったんですが、後付けの意味があって、それがこの曲全体を貫くコンセプトになっています。「冒険」は「1日の始まりから終りまで」とか「1つの季節」或は「人の一生」とか、そういう「小さいサイクル」のことで、「大冒険」は「種族全体の始まりから終りまで」とか「星の一生」とか、そういう「大きいサイクル」のことです。それらが循環しながら入れ子式に相似形を描く、というのがこの曲のボンヤリとしたコンセプトになっています。例えば「おひさまも沈めてみた」という歌詞が出てきますが、「沈む」のではなく、天体を司る存在に「沈められる」のです。YouTubeとかによくある「歌ってみた」みたいな感じで「沈めてみた」…そういう大きい視点からのビジョンと、小さな人々から見た暮らしを1つの詩の中で描こうとしました。
Aの部分は朝が明ける時、清々しい日の光で霧が消えていく様子、誕生をイメージしたものです(元々この部分は『朝』という曲でした)。B-Cを経て、何だかよく解らない苦悩に満ちた精神的な世界に入っていきます。で、それが2サイクルあって、華やかなコーダで「冒険を始めるぞ」と言って終る、という構造になっています。
歌詞の大部分は説明がし辛いのですが、一カ所だけ書いておきたいことがあります。
20歳の時、地元で成人式に参加した後、大規模な中学校の同窓会がありました。みんな割と薄汚い大人になっていて(自分もそうだったかも知れませんが…)、同窓会でも下品に飲み食いして「俺たち成人!皆これからも頑張ってこうぜー」みたいな感じで騒いでいました。「みんな下品になったなー」とボンヤリ思っただけで、特に嫌悪感とかは抱かなかったのですが、。 で、中には中学卒業してから初めて会う奴とかも居たのですが、その内の1人で、中学の時は小柄でカワイイ感じだったのに、5年ぶりに会ったらグダグダに酔っ払って凄く下品な感じで女の子に抱きついたりしている奴がいました。やはり嫌悪感とかを抱いた訳ではないのですが、その乱痴気騒ぎの同窓会の記憶の中で、その彼が女の子に抱きついてる姿と、それを見て酒をあまり飲まない自分は「あーみんな変わったなー」と思ったことが、なぜか強く印象に残っていました。 それで同窓会から帰ってきて、アイディアを書き溜めているノートに「酒の力を借りて語り続ける者と 酒の力を捨てて踊り続ける者が きみが高く翔べるように ぼくが高く翔べるように と……」という詩をメモしました。で、それが『大冒険と冒険』の2Cの部分に使われることになったのですが、この曲が完成した後、同窓会の2ヶ月後に、その女の子に抱きついていた友だちが、お酒の事故で亡くなってしまったのです。それはただひたすらに単なる悲しい出来事であって、別にこの曲を作ったのは彼に導かれたのだ、とかそういうことを言いたいわけではありません。でも当然自分の中では強く残っています。自分はこの歌詞で、「子どもはやがて大人になって、でも人間はどんなに年を取っても子どもと変わらない部分もあって、でもドタバタしてるうちに子どもを産んで、またその子どもが大人になって…」というサイクルのようなものを表現しようとしたのでした。亡くなった友だちの葬式に行って棺の中を見た時、その顔は今までに自分が見たことのある「年老いた人の死体の顔」とは全く違う種類の表情をしているような気がしました。その顔は僕には凄く強張って見えて、まだ死ぬべきではない時にその友だちは死んでしまったのだ、と思いました。
コーダの部分に出てくる「先生そこまで来ているぞ」という歌詞は、中学生の頃、授業開始のチャイムが鳴って先生が来るまでの間みんな教室でガヤガヤ騒いでいて、廊下の向こうに先生の姿が見えたら「先生きたぞ!」と叫んで慌てて席についたような日々を思い出して書いたものです。僕は、学生時代は中学生の時が一番楽しかったです。
トラック数はそれほど多くない曲なので、激しく苦労したような記憶はあまりありません。Cの部分はギターとヴァイオリン以外のパートはかなりフリーな演奏をしているのですが、山本君のピアノと、ゲスト参加の小林さんのトロンボーンがこの部分の曲想に合った奇妙なフレーズを効果的に入れてくれています。アレンジ上の見せ場は、何と言ってもクライマックスに出てくる20人の合唱です。『グレート・バリア・フリー』と同じ環境で録音したものですが、冒険に出掛ける朝の若い力の様子を上手く表現してくれています。1A~2Cまでと、ブレイク後のコーダは、『火の家族』と同様、別テイクのベーシックを繋ぎ合わせたフランケンシュタイン状態になっています。

 

 

3.夏に美味しい水 The Delicious Summer Water 2010
凄くシンプルな曲。『火の家族』の項で父の実家の長野のことを書きましたが、僕は子どもの頃夏休みに長野に帰省するのをとても楽しみにしていました。高原のプール、裏山の畑とカブト虫、田んぼのカエル、とか。割と典型的な「田舎の風景」みたいなものかもしれませんが、子どもの頃の自分の眼に映っていた長野の夏休みの風景を描いた曲です。
途中「夏の昼間のテレビには いつでもサングラスをかけた人が」という歌詞が出てきますが、これは平日は学校に通っているため観ることの出来ない『笑っていいとも』を夏休み期間はここぞとばかり毎日観たり、何もすることがない夕方には『世にも奇妙な物語』の再放送を繰り返し観ていた時のものです(サングラス=タモリさん)。
で、ただ単に自分の幼い頃の想い出を描いただけではつまらないので、歌の世界の中で、子どもの頃の自分と、自分の父親が子どもだった頃に同じ長野の自然の中で遊んでいた姿、さらには全然知らない誰かの姿もが重なり合う、というコンセプトを念頭に歌詞を書きました。
録音はかなりシンプルだったと思います。ピアノはダビング1テイクだけだったような。ポイントは大福さん作のテーマリフと、中間部のヴァイオリンソロでしょうか。対旋律的に入っている小林さんのフルートも見事です。曲のクライマックスでベタな半音転調があります。ライヴでやると割と好評なのですが、シンプルすぎて何となく気恥ずかしく、あまりやったことがありません。

 

 

4.Lost Gray Lost Gray 2009
2つめの服部峻カヴァー。2013年に発表された彼の1stアルバム『UNBORN』にも収録されている曲です。
震災の直後ネット上で服部峻という人物の存在を知り、僕が初めて聴いた彼の音楽です。2009年に制作された、彼の作品の中では比較的コンパクトな「小品」的存在とでもいえそうな曲ですが、既に高い完成度と独自性を誇り、マイスペースの再生ボタンを押した瞬間にその世界に引き込まれたことをよく憶えています。現在YouTubeでも聴くことが出来ます。
やはり自分は作者ではないのでこの曲の作曲の経緯などについて語ることはできません。
でも1つだけ。以前彼に「タイトルの『Lost Gray』とはどのような意味か?」という質問をしたことがあります。
「グレイ=灰色っていうのは、おじいさんとか、年を取ったり枯れたものの象徴で…それが居なくなるっていうのは、もう本当に何も無くなるってことなんだよ。『いなくなっちゃった!』って感じ。分かるかな?」
原曲は、エレクトリック・ピアノの端正なバッキングと架空の笛のような独特の節回しの主旋律が見事なバランスで絡み合うアレンジ。エレクトロニカでもトイ・ミュージックでもない、この世のどこにもない服部峻の音楽です。しゃしくえのバンドアレンジでは、原曲のスコアを各楽器に振分け、シンプルでダイナミックな演奏をしています。作曲が始めから完成しているので、録音やミックスではそれほど苦労しませんでした。『Istanbul Morning』同様、ピアノのバッキングはステレオで2テイクを重ねており、後半になるにつれ複雑なリズムの掛け合いを即興的・偶発的に展開しています。ギターはライン録音です。完全ライン録音なのはこの曲と、山本さんの4曲の計5曲です。自分はギターを弾く際、ピックを使うのは基本的に単音弾き、つまりソロやリードを弾く時だけで、その他は指弾きが殆どです。色々試した末『キラリティ』の録音では、基本的にピック+リードではライン録音を、指弾き+バッキングではマイク録音を採用しました。細かい部分で例外もありますが。『Istanbul Morning』はピック+リードですが、全編マイクで録音したものを多数重ねています。

 

 

5.ポップ Pop 2010
3つめの山本さん曲。山本さん在籍時にはよくライヴでも演奏していた曲です。ゆったりした曲想や静かでどっしりとした歌詞に、山本さんという人が持つある種の懐の深さみたいなものがよく表れた曲だと思っています。
やはり山本さんのヴォーカル&ギター、山本君のシンセはベーシックのものをそのまま使っています。ヴァイオリンは割と自由に演奏していた曲で、ダビング録音の際もまず1テイク録った後、それを聴かずにもう1テイク録音。その2本を左右から同時に鳴らし、共通点もありながら差異を描いていくような演奏を展開しています。自分のギターはやはり基本となる型を決めつつ即興的なフレーズを盛り込んだり再構築したりしながら、複数のパートが掛け合うような造りになっています。アウトロにギター3本からなるソロパートが入ってくるのですが、この部分は何度も録音をしながら考えた末、最終的になぜか一部が沖縄っぽい節回しのフレーズになりました。気に入っています。所々にメンバー全員によるコーラスあり。これも気に入っています。

 

 

6.ユートム UTOM 2009
高校3年生の初夏、7月とかだったと思うのですが、よく晴れた天気の良い朝、学校に行く前にギターを弾いていて出来た曲。曲全体を通して主要なコードはたった1つ+ベース音が少し動くだけ、という単純極まりない構造の曲なのですが、その頃の自分にはこのコードが物凄く神聖で、高校時代の自分の音楽の集大成としてその後1~2年くらいとても大事にしていた曲です。
『ユートム』というタイトルは『ウルトラセブン』に出てくる敵の地底ロボットの名前から。『ウルトラQ』~『ウルトラセブン』までの作品が僕は大好きで、ユートムというロボットも好きなのですが、その話に沿った曲という訳では特にありません。ただ「ユートム」という言葉の持つ響きが、この曲にはピッタリだと思ったのです。言葉の響き、という以上に具体的な説明は出来ないのですが。
歌詞は2年くらいかけて少しずつ修正を重ねて出来上がったもので、凄く気に入っています。歌詞だけでいえば、『ユートム』と『氷の宇宙船』が、今作の曲の中では一番出来が良いと自分では思っています。
曲の構想としては、「幼さ」とか「純粋さ」「光」みたいなものを歌った曲で、次々に出てくる抽象的な言葉にはそれぞれ具体的な裏エピソードみたいなものがあるのですが、全体としては、「いつも明るく笑って皆を楽しませるようなタイプの人が幼年・少年・青年と成長し伸びやかに大人になっていって、その健やかさの陰で人知れず刻まれた悲しみや怒りみたいなものをも全て抱きしめて未来の光の中に消えていく」…みたいなイメージだと思います。「中学生のころよりもあなたはほがらかになって、高校生のころよりもたのもしくなって、大学生のころよりも美しくなって、そして、血と水と土と水筒に還る。」という歌詞を高校生の時に書いたことを少し誇らしく思っています 笑。「水筒」は当時から自分が大好きな道具の1つで、何となく歌詞に入れたのですが、今になってみるとこれは「習慣」を象徴するものとして歌詞にしたのかなとも思います。完全に後付けですが。
音源的にはそんなに色んなギミックがある訳ではないのですが、地味に大変でした。ピアノはかなり即興主体の曲なので、やはり切り貼り・再構成などに苦心しました。イントロでバッハの『眠れる人目覚めよ』を演奏しているのですが、最初の部分はピアノとヴァイオリンのみで、今作で大福さんのソロ・ヴァイオリン演奏が最もクッキリと聴こえるポイントはここだと思います。それだけに、ミックス作業においてここの部分のヴァイオリンの音作りはかなり集中して行ないました。でもこれは楽しかったな。上に歌詞を書いた「血と水と~」の後に挟まる短いインスト部分に、『オランウータン』の項にも書いたような、ピアノによる波のようなフレーズが入っています。やはり山本君とダビングを進めながら考えたものなのですが、これも気に入っています。ヴァイオリンのハーモニーやアレンジもダビングを進めながら考えた部分が多いです。特に後半はヴァイオリンの細かいニュアンスを大福さんと詰めていったのが楽しかった。
曲の最後の部分に「笑ったらまけだ」という歌詞を連呼する部分があるのですが、「笑ったら負けな時」ってありますよね。
自分のヴォーカルだけでは表現しきれなかった部分も多く、いつかまた録音してみたいと思っている曲でもあります。

 

 

7.かえるの歌 Frog Song 2012
4つめの山本さんの曲。個人的に今作中の山本さんの曲で一番好きです。一聴すると他愛のないフレーズで構築されたシンプルな歌詞と曲想ですが、その中に「この世の色々な物事の儚さ」とでも言うべきもの、無常観のようなものが静かに冷たく表現された素晴らしい曲だと思っています。
やはり山本さんのヴォーカル&ギター、山本君のシンセはベーシックのものを殆どそのまま使った状態です。僕のギターもやはり他の3曲同様、2~3本が複雑に絡み合うようになっています。即興的なフレーズを切り貼りした部分もあります。
山本さんの要望で、中間のコードが変わる部分はたくさんのフィールド・レコーディング音がコラージュされたアレンジになっています。大福さんのヴァイオリンはここの部分に8音だけ出てきます&実はこのコラージュの中で2人の人間が会話をしています。判りますでしょうか…。この曲のアレンジは自分でも凄く気に入っています。

 

 

8.Patriot songs about her Patriot songs about her 2011
2011年の秋に作った曲。2013年頃『氷の宇宙船』を演奏するようになるまでは、たぶん100%(に近い)のライヴでクライマックスなナンバーとして演奏していた曲です。友だちが住んでいる多摩という地域の街を描いた歌です。2012年に発表した『火口』というCD-Rアルバム(田中のソロ作品)のライナーノーツ(※旧サイトへ飛びますが、現在閉鎖中です。ご覧になりたい方はご連絡ください。2016.1.9. 追記)にはこの曲の詳しい紹介を書きました。
凄く要約すると、「小さな街で少し暗い子ども時代を過ごした人が、大人になって少しずつ1人で遠い場所に行けるようになって、海を渡って外国にも行けるようになる。どこまでも自由に行けるようになった今でも、その人は自分の故郷のことが大好きである」みたいな構想の曲です。これだけを考えると、JPOPの歌詞にはよくあるような内容な気もしてきます。
思い入れのある曲だけに、録音や編集にもかなり手間と時間をかけました。が、ちょっと気合いを入れ過ぎてヘヴィになりすぎてしまったなという部分もあり…やはりこれも機会があればまた録音してみたい曲です。ピアノは5テイクくらいの即興の中から良いフレーズを繋いだり重ねたりして作りました。山本君の手によるヴァイオリンのリフのアレンジがかなり凝っていて、メインテーマを筆頭に、よく聴くと3~5声くらいのヴァイオリンが複雑な対旋律を鳴らしている部分が数カ所あります。曲のクライマックスを導入する部分では、それまでに出てきたストリングスのメロディや対旋律が全て同時に演奏されます。ダビング作業をしている時に、大福さんと「もう全部入れちゃおうよ」という話になりました。ここはとても気に入っています。

 

 

9.氷の宇宙船(アルバトロス) Glacial Spaceship Albatross 2013
最後の曲です。2012年夏にアルバム制作を始めた時点では影も形もなかったのですが2013年の始め頃に着想、同年夏に曲と詩がほぼ完成し、9月から10月にかけてレコーディング、ギリギリで収録できた曲です(レコーディングそのものは2013年10月まで、というのを大体の目安にしていたので)。
この曲がなければ本作は全17曲で、「キラリティ」状態も成立しなかったわけです。さらには、制作開始当初は存在すらしていなかったこの1曲のためにこそ『キラリティ』というアルバムは存在しているのだ、とさえ自分は考えています(それ以外の曲を否定するように聞こえてしまうかも知れませんが…)し、聴いてくださった方の間でも最も人気があり、主観的にも客観的にも恐らく今作の中で最も重要な曲だろうと思っています。最近はこの曲をライヴの最後にやるのがすっかり定番になってしまっているので、そろそろ新しい流れも考えたいなと思っています。
タイトルは藤子・F・不二雄先生のSF短編『宇宙船製造法』から。小学生の頃から何度も読んできた作品なのですが、2013年始めに再び読み返した際にこの作品から得たインスピレーションと、その頃思い付いたギターのフレーズを基に曲を作り始めました。イメージが色々と広がって、最終的には漫画の内容とはそれほど関係のない部分も多くなりましたが。でもやはり曲のベースにはこの漫画があります。
漫画は、外壁の破損で航行が困難になった宇宙船が銀河系の果てのとある惑星に漂着、地球への帰還は絶望的という状況下で、乗組員の少年少女たちはその星での生活を築き始める…というような粗筋です。で、完全にネタバレなんですが、物語の最後で1人の少年が「故障した宇宙船を巨大な流氷の中に埋め込み、エンジンを起動→破損した外壁を分厚い氷でコーティングした宇宙船に乗って地球に帰還する」という方策を思い付き、見事に全員で脱出を果たします。宇宙空間は真空で熱を伝える物質が存在しないため、氷は溶けないらしいのです。
ぜひ多くの人に読んでもらいたい素晴らしい作品で、宇宙規模の哀愁とその中での人間という小さな存在の切実さ、といった、藤子先生のSF世界の真骨頂が如実に表れた傑作だと僕は思っています。「銀河系の果てでは、星が殆ど見えない」「銀河の中から1つの惑星を見つけるのは『砂浜に落ちたケシ粒を探す』ようなものだ」「水平線の広がり具合でこの星の大きさが判る」「大陸かと思ったら流氷」、そして「宇宙で溶けることのない氷で包まれた宇宙船」…といった、数々の壮大なイメージ。宇宙という空間を1つの「海」として描いたような、雄大で豊かな時空の流れを感じさせる物語からたくさんのインスピレーションを得ました。
で、自分が作った曲はどんな感じかというと… 『宇宙船製造法』から得た宇宙のイメージを基にしつつ、「人間の『願い事』や『死んだ後の魂』みたいなものは宇宙空間に向けて飛んでいくのではないか」という自分なりのテーマを設定して詩を書いていったような気がします。生きている間に願ったこと、出会った美しい景色や言葉、友人や家族、目にしてきた、あるいは目にすることのなかったこの星の人々の暮らし…そういったたくさんの物事が、喜びも悲しみも全て連れて走馬灯のように流れる中、死者の霊魂が宇宙に旅立っていく、そんな様子を壮大な絵巻物のような感触でポジティヴに表現したかった曲、とでも言えるかも知れません。
歌詞に関するトリビア的な情報としては…メンバーを始め、僕の身の回りの人の名前の「漢字」が歌詞の中に多く使われています。CDのクレジットと歌詞を照合してもらうと判る部分も多いと思います。あと、最後に出てくる「島が見えるよ」という歌詞。実はこれは、「たま」というバンドの解散ライヴで、『さよなら人類』という曲の最後の部分でギターの知久さんがアドリブ的に「島が見えるよ~」というコーラスを入れている場面から拝借したものです。マニアックなファンの人なら分かるかな、。
ところで、
1番のサビでは 「遠くにゆきたいと思う気持ちは、自分が近くにいるからなのだろうか? 近くで眠りたいと思う身体は、あなたが遠くに居るからなのだろうか?」
2番のサビでは 「遠くに行きたいと思う気持ちは誰かが遠くにいるからなのだろうか? 近くで眠りたいと思う身体は誰かが近くに居るからなのだろうか?」
という歌詞を歌っています。殆ど同じ字面ですが、実はこれは全く違う内容です。
1番の方はある意味「ストレート」な歌詞。日々の生活の苦労や懊悩、つまりは「自分」に追われ、どこか遠くへ行きたいと思う気持ち。そして遠くに居る恋人や家族、友人を思い、その傍に行きたいと願う気持ち、といった意味です。
それに比べて2番の方はある種の「反語」的な表現になっています。「遠くに行きたいのは誰かがそこにいるから」それは裏を返せば「そこにいるのは“誰でも”良い」のです。同様に「近くで眠りたいと思うのは誰かが近くにいるから」=「近くに居るのは“誰でも”良い」のです。
きっと殆どの場合、人間の関係というのはそういうものなんじゃないかと…どんなに大切に、自分にとって特別な存在に思える相手でも、実はそこには特殊な糸なんて何もなくて、たまたま近くに居たからたまたまそういう関係になっているだけで、違う誰かが傍にいたらその誰かが代わりに“大切な人”になっていたんだろう。なぜなら「たまたま近くに居る誰かを愛する」ということが人間という「動物」の逃れられない習性で、自分も、近くに居る誰かも、そんな人間という「動物」だからです。大切な人と自分の関係について考えれば考えるほど、そういう風に思ってしまうことが僕にはあります。でも、それだけではなく「その人が自分にとって本当に特別な存在であるからこそ、自分はその人のことが大切なんだ」と思いたい、そうありたい、という自分も常に居ます。「たまたま近くに居る誰かを愛する」という逃れられない使命を生まれた時から何も知らされぬままに背負わされつつも、少しでも良いからそうではない「特別な形」で誰かを愛したい、と願うところに人間という存在の切なさは凝縮されていると思っています。「誰かが遠くに/近くに居るからなのだろうか?」という歌詞には、「そうなのだろうか、、いや、きっとそれだけじゃない部分もあるはずだ」という反語的な問い掛けのニュアンスを込めました。
副題の「アルバトロス」は気ままな渡り鳥、アホウドリを指す言葉です(僕は何となく「気まま」というイメージを持っていますが本当にそうなのかどうかは知りません)。あとゴルフで、パーよりも3つ少ない打数でホールアウトすることを「アルバトロス」と言います。宇宙船には「ディスカヴァリー」とか「エンデヴァー」とか色々な名前が付いているけど、人間の願いや霊魂が乗る氷でできた宇宙船には「アルバトロス」という名前が相応しいだろう。そんなイメージです。
『キラリティ』という作品は、全体を通して、自意識のアクが強すぎる苦悩や懊悩のようなものが漂っている部分が多いと感じられることがあるかもしれません。「生」や「死」を巡る様々な未熟な問い掛けを経た末に、このアルバムにおける「そういった世界」からの1つの脱出になっているのが『氷の宇宙船』という曲だと自分は思っています。「死」のイメージが強い『グレート・バリア・フリー』で幕をあける「生」のdisc1、に対し、「生」のイメージの走馬灯と共にポジティヴに「死」=「脱出」を達成するdisc2、という対称・循環の構造が、本作における「キラリティ」というテーマを表現するための内容的な核になっています。
恐らくレコーディングにもミックスにも最も時間と手間を掛けた曲です。
2013年の夏前に山本さんがバンドから離脱した後に作った曲なのでドラムは入っておらず、pro toolsのプラグインのメトロノームがそのままリズムパートとして使われています。
最大の見せ場は、YouTubeのCMでも聴くことが出来ますが、クライマックスでメンバー含む9人のヴォーカルが入れ替わり立ち代わり前に出てくる場面です。ゲストの5人は、専門的なヴォーカリストどころかミュージシャンですらなく、言ってみればただの素人なのですが、今作で最も「最も豊かに音楽的」なのはこの曲のこの場面だと思っています。
一番最後のラララコーラスは僕・山本君・大福さんによる多重録音。山本君と大福さんによる複雑なコーラスアレンジが施されています(山本君のコーラスは澄んだ声とテノール歌手のような図太い声、大福さんは妹キャラ〜歌のお姉さんまで多彩な声を使い分けています)。実はこのラララコーラスのメロディは『グレート・バリア・フリー』の最後と全く同じものなのですが、気付いてくれた方はおりますでしょうか…。ここにも対称や循環、「キラリティ」というテーマが反映されているとともに、「メロディ(=旋律)」というものは常に一定のニュアンスを持つ絶対的なものではなく、「ハーモニー(=和音)」との相互作用よって大きくニュアンスが変化する相対的なものだ、という自分が昔から考えつづけているテーマの1つが表現されています。あとこの部分には、僕が小学生~高校生にかけて断続的にピアノを習っていた中尾先生という方のチェロが入っています。メロディの裏側で対旋律的に鳴っているやや聴き分け辛いミックスになっていますが、躍動感のある素晴らしいフレーズをたくさん入れくださいました。
これら全ての融合によって、自分たち独自の「生」と「死」の表現が出来たのではないか、という自信を密かに持っている曲です。長い旅の終り、別れや脱出の歌であるとともに、また世界は循環し、新しい島が見えてくる……途轍もなく大きな世界の中で途方もなく小さい人間という存在の眼に映る景色とともに在る、始まりの歌のつもりでもあります。
喜びや悲しみ全てを包み込むようでありながら、同時にそのいずれの価値観でもない、何も存在しない、どこでもない場所に向かう歌。そんな音楽をいつか作ってみたいと自分はずっと思っています。

 

 

2015.3.26 tnk

 

 

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