窓

 

 

 

1.グレート・バリア・フリー The Great Barrier Free 2011
2011年3月のはじめ、震災の直前に作った曲です。震災の前日、2011年3月10日に発表した田中のソロCD-R作品『Great Barrier Free vol.1』の1曲目には、この曲の短いインストヴァージョンが収録してあります。
ずっと温めていた、というほどでもないのですが「グレートバリアフリー」という言葉そのものは中学生の頃から自分の頭の中にあって、いつかこれをテーマにした作品を作りたいなと思っていました。オーストラリアにある世界最大のサンゴ礁帯「グレートバリア“リーフ”」と「バリア“フリー”」をかけた、ダジャレのような言葉です。
この言葉を基に考えたショートストーリーみたいなものがあります。
「人間がほとんど絶滅した後、海の水は綺麗になって、グレートバリアリーフがどんどん成長して地球の海を覆い尽くし、そのサンゴ礁の上を歩いてどの大陸にも行けるようになる=地球は限りなくバリアフリーになる。そんな世界で生き残ったある2人の恋人が、良く晴れた夜、星空の下のサンゴ礁の海をどこまでも歩いて行く。でも実は片方はもう既に死んでいて、生き残った1人が「まだ隣に恋人がいる」と思い込みながら独りで歩いている…」
みたいなロマンチックな感じのものです。この曲の歌詞はそんなストーリーに沿ったものになっています。この曲を作ったすぐ後に震災が起こったのですが、あの時繰り返しテレビに写されていた津波の映像と、自分が思い描いていたグレートバリアフリーの海の姿にはシンクロする部分があり、その頃の様々な記憶とともに自分の中に深く残っている曲です。
録音など制作過程についても書きたいと思います。ごく一部を除いた『キラリティ』の曲殆ど全てに共通することなのですが、まず初めにライヴ同様の全員同時演奏によるベーシックトラックを録音した後、ドラム以外の全パートは個別に録音をし直し、さらに各楽器ごとに大量のダビングを重ねています。ギターは殆ど一定のパターンを弾いているのですが、ピアノとヴァイオリンは基本となるパターンがありつつも細かい部分は即興的に演奏している場合が殆ど(これはライヴでも同じです)です。「即興」と「録音」の両方の利点を活かすべく、まず複数の即興的なテイクを録音し、その中からフレーズを拾い集めて細かいアレンジを決めて再度録音したり、あるいは良い録音をフランケンシュタインのように繋げて1つの演奏にしたり、という手法を殆どの曲で採りました。正確な数はもうあまり思い出したくないのですが、『グレート・バリア・フリー』のピアノは10テイク近くをバラバラにして繋ぎ合わせて作ったと思います。ヴァイオリンは3テイク程度です。
また、音に奥行を持たせる目的で、1つの楽器のユニゾン(全く同じ譜面の演奏)を複数回ダビングして分厚いサウンドを作ろうとした箇所も多いです。これは制作時にハマっていた「クイーン」などの録音手法を真似したものです。『グレート・バリア・フリー』のギターパートは、全くのユニゾンを異なるギター/機材を使って録音したテイクを4本ほど重ねた気がします。
なお録音は殆ど全て、生楽器を2〜3本でマイキングして行なっています。ギターはたくさん使ったのでもうどれがどの音か自分でも判りませんが、エレクトリックギターはリッケンバッカー425(1981年製)、グレコのストラトキャスター(1977年製)、アリアのシンライン(1978年製)、エピフォンのカジノ(1989年製)、アコースティックギターはSUZUKI Violin ThreeSのTN-005(1981年製)、ベースはGibsonのEB-0(1960年製)を使いました。ベースは全てライン録音です。ギターアンプは日本ハモンド社Jugg Boxのmicro Jugg(真空管)、YAMAHAのJX50(トランジスタ)を使いました。
どの曲も、このようにしてたくさんの時間をかけて試行錯誤をしながら制作していきました。大掛かりな録音も本格的なアルバム制作も初めての経験で、誰の手も借りず自分たちの手だけで手探りで行なっていったため、率直に言って、たくさんの楽器や機材を使ったり大量のトラックを使ったり、といった試みが全て上手くいった訳ではありません。というか裏目に出たことも多かったです。でもところどころで、ささやかなものかもしれませんが、自分たちの辿った制作工程でしか作ることのできないサウンドを生み出すことはできたと思っています。
『グレート・バリア・フリー』の最大の見せ場は、最後に出てくる20人の合唱です。この部分のメロディは、夜の海を歩きながら死んでいった人たちに向けて歌う歌、のようなものをイメージして作曲したのですが、即席で結成した合唱団の歌声が非常に上手くそれを表現してくれたと思っています。成功するだろうかとドキドキしつつ、とても楽しい録音でした。
「人間が絶滅した世界/誰もいなくなった世界」を描いた『グレート・バリア・フリー』という曲から、「生・今あるもの」というテーマのdisc1が始まる、という逆説的な構造になっています。

 

 

2.岬のオランウータン Orangutans at a Cape 2010
1曲目に続き人間絶滅系の曲です。でも『グレート・バリア・フリー』のような頽廃ロマンな感じではなく、人間が絶滅した後のオランウータンの一族の暮らしを描いたホンワカ系の曲です。『猿の惑星』に激似な設定ですが、意識したわけでは全くありません。でも影響は間違いなく受けているし結局いつの間にか真似したんだろうとは思いますが、。
人間が居なくなった後、オランウータンの活動範囲が広がって日中は岬に出てきて日向ぼっこをするようになった、という世界を空想しました。オランウータンは相変わらずのんびり暮らしているものの、人間の遺物に触れることでその時代の記憶に微かに触れたり、あるいは大きな地球の歴史の記憶の中のどこか空白地点のような場所でオランウータンの生活とかつての人間の生活が重なったりフラッシュバックしたりする、というような世界の感触を描こうとしました。また、そのたくさんの人や動物の暮らしの重なりの中で「新しく生まれてくる子どもへの祝福」はオランウータンにも人間にも共通して存在する、という具体的なメッセージを込めた部分もあります。
しゃしくえの曲の中ではかなりキャッチーなものだと思うのですが、それが少し気恥ずかしくもありライヴではたまにしか演奏していません。
ダビングに関しては、即興的な要素が比較的少なかったのでそれほど苦労しませんでした。メンバー全員によるメインテーマのコーラスと、後半に出てくる波のようなピアノのフレーズ(山本君とダビングをしながら考えました)が気に入っています。

 

 

3.Istanbul Morning Istanbul Morning 2011.5.31
服部峻 Takashi HATTORIの楽曲のカヴァー。服部峻についてはまた後日別稿で書きたいのですが、自分の世代で世界最高の才能を持った芸術家の1人だと思っています。自分が服部峻を知ったのは2011年の3月、やはり震災の直後でした。2011年の5月に円盤で初めて彼のライヴを観た時、「今朝作ってきた曲です」と言って彼がピアノと打ち込みのカラオケで演奏していた曲です。YouTubeには、この日彼が作った音源が載っています(あくまで「デモ音源」で、ちゃんとした作品に仕上げる予定はないということですが)。
『Istanbul Morning』というタイトルは彼によると「キャッチコピー」とのことですが、朝のイスタンブールが持つ騒々しく楽しい感じ、あちこちで色んなことが起こっているような様子、旧い街と新しい街、アジアとヨーロッパが共存した独特の爽やかさ、そんな魅力が思い起こされる名曲だと思っています。
随所にコラージュしてある雑踏の音は、実際に自分がトルコに行った時に採集してきたものです。演奏に関しては、かなり忠実な原曲のコピーを下地に、様々な細かいアレンジを加えてあります。ヴァイオリンとギターはダビングをしていく仮定で少しずつフレーズの語尾を変えたりオブリガード的な音形を足したりして、トリッキーな雰囲気を出しました。ピアノは複数のテイクをLRで振って同時に出しています。基本となるピアノのコード進行はシンプルなものですが、後半になるにつれ複雑なリズムを即興的に刻んでいくようになります。それを複数本重ねているので、よく聴くと左右の組み合わせでかなり複雑なリズムが偶発的に生まれています。でも一聴した分にはそれほど奇天烈には聴こえない所に山本君の手腕が輝いています。ギターは複数の楽器を使ったユニゾンを10テイクほど重ねた気がします。それほど強い個性があるわけではありませんが、何のギターを使っているか判らないような、独特のコーラス感のあるサウンドを作れたと思っています。このようにギターをユニゾンで大量にダビングする手法は随所で採っていますが、これは実は密かにブライアン・メイのサウンドメイキングを意識したものです。とても足下にも及びませんが、。

 

 

 

4.呼ぶこえがきこえる The VOICES 2012
山本君が作曲した曲に、僕が詩をつけたものです。当初渡された山本君のデモ音源ではCメロ部分には歌のメロディが無く、その部分のみ歌詞だけでなくメロディも僕がつけました。はじめは『呼ぶ声が聞こえる』という字面でしたが「呼ぶ」以外は平仮名にしました。
2012年の始め頃、僕が作る曲が殆ど3拍子ばかりなので嫌気がさした大福さんが「5拍子とかやろうよ」と言って、山本君が即座に作ってきた曲です。山本君はギターが弾けないのに、僕がよく使うような運指で弾けるようにギターの譜面も考えてあって、その辺が非常に嫌らしいところです。
山本君は当初「奥深い森林のような、大自然からの呼ぶ声」というようなイメージでこの曲を構想していたようなのですが、僕が山本君のデモを聴いて持った印象はそれとは少し違うもので、それに沿って歌詞を書かせてもらいました。嵐の晩、明るく暖かい部屋の中で、幼い兄妹(か姉弟、か双子か、友だちか。同性でも良いですが。)がブロック遊びやパズルのような、数学的な好奇心を引き出す玩具で少し頭を使いながら楽しく遊んでいます。外では嵐の音が時おり自分たちを呼んでいる声のように聴こえて、「恐いね」とか言いながら楽しく笑って遊び続ける。そんな部屋の中の様子を、カメラがメリーゴーラウンドのようにクルクル回りながら映していくような、そんな楽し気な世界を僕はこの曲から連想して、それに合せて歌詞を書きました。
録音に関しては、山本君が採譜した各パートを殆どそのまま演奏する形で録音したので、かなりスムーズにいった曲でした。即興的な部分は少なめです。弦楽器はやはり複数のユニゾンテイクを重ね、音に厚みを出しています。ゲスト参加の小林さんのフルートとトロンボーンのパートもやはり山本君の採譜によるものですが、こちらもかなり効果的なフレーズになっています。
ところで上記にリンクした山本君のデモ音源、歌っているのは当然山本君なのですが、ロバート・ワイアットぽい声で良くないですか?でも自分が歌ったらもっとイカツイ感じになってしまい、ちょっと申し訳なく思っています。機会があればまたイチから録音してみたいです。でもそれはどの曲に対しても思っていることでもあります。死ぬまでにもう一度、このアルバムをイチから録音してみたい、と。多分そんなことは無いと思いますが。

 

 

5.白い煙 Smoke 2012
『キラリティ』までのしゃしくえの主要メンバーで、現在バンドからは離れているドラマー、山本眞奈美の曲です。ドラマーと言ってもドラムが専業というわけではなく、弾き語り歌手としても活動しています(というか現在の本人のメインプロジェクトはそっちだと思いますが)。『キラリティ』には彼女の曲が4曲入っています。また、その4曲及びdisc2の9曲目『氷の宇宙船(アルバトロス)』以外の13曲全てで山本さんはドラムを演奏しています。
この曲の世界観や構想については、僕は作者ではないため書くことが出来ないので、音源制作について書きたいと思います。
山本さんの4曲のベーシック録音に関しては、バンド全員ではなく、僕・山本さん・山本君(この2人は名字が同じですが特に血縁関係とかはありません。)の3人で行ないました。山本さんのギターと山本君のシンセに関しては、4曲ともベーシックをそのまま使っています。山本さんのヴォーカルも、いくつか録音し直した部分はありますが、ほぼベーシックのものを使ったと思います。その上にダビングで僕によるギターやベース、コラージュ、コーラスなどのアレンジなどが施してあります(コーラスはメンバー全員が参加)。
『白い煙』は4曲中もっとも大掛かりなアレンジを加えた曲です。ライヴで2回くらいしか演奏したことのなかった曲で、バンド全体のアレンジがそれほど定まっていなかったので、録音空間上でしか再現できないようなアレンジを試みました。ギターとベースがそれぞれ4本ずつくらいダビングしてあって、異なる音域・フレーズを弾いて複雑に絡みながらリズムを作るようになっています。リズム楽器が無いので、ギターとベースでビートを作り出すことを目指しました。その結果、ベーシックとは大分雰囲気の違う、ややポリリズムぽいグルーヴになりました。ヴァイオリンは曲の終りの部分でギターソロと共にドラマチックに登場して、そこにメンバー全員の分厚いコーラスが重なってきます。ここが僕のアレンジ上の最大の見せ場です。このコーラスは、山本さんがベーシック録音の際に同じ箇所で即興的にハミングしていた微かなメロディを抽出し、しっかりとした音符に置き換えてアレンジしたものです。

 

 

6.家族の箱の中庭で At the Court of the Box of A Family 2011
2011年の春、震災のあと最初に作った曲です。非常に多くのテーマのある曲で、全てを体系立てて書くことはできません。が、そのうちの1つは「家の中に自分以外誰もいないのに誰かいるような気がする時がある」という感覚・経験、です。
自分は共働きの両親の元で育った一人っ子なのですが、幼い頃1人で家にいると、よくこのような感覚に陥ることがありました。そこから派生して、というか自分の中でそれに近い場所にあるテーマとして、「隣の部屋、壁の向こうにいるのは本当に自分の知っている家族なのか」「血が繋がっていることと繋がっていないことにはどんな違いがあるのか」などがあるのですが、そういった「家」や「家族」に関する色んなモチーフを詰め込んだ曲です。
タイトルの「中庭」は「食卓」のことで、別々の場所で生活をしている家族が一時だけ一同に会し食卓を囲んでいる様子を示したものです。歌詞の中に「この星」「太陽」など天体が出てくる場面がありますが、それぞれの星の印象を1つ1つ人間の性格に喩えたものです。「この星」は地球です。
「冷たくても冷たくなくても神様はこの箱の中に居る」という歌詞は村上春樹さんの『1Q84』に登場するユングの言葉(諸説ありますが)を引用したものです。
また、この曲で自分が表現したかったことに近いテーマを持っている(と自分が思っている)作品として、いがらしみきお先生の『sink』という漫画があります。というか自分がそこから強い影響を受けているともいえますが、。
録音に関しては、曲全体を通してみれば極端に複雑ではないので、それほど苦労はしませんでした。ただイントロのヴァイオリンは10本ほどを重ねており、アルバム中1・2を争う重厚なストリングスアレンジが施されています。大福さんの巧みな構想と演奏が強烈に顕われている部分です。珍しく山本君がピアノではなくシンセ主体の演奏をしている曲ですが、中盤に登場するピアノソロも見事です。
ギターは確かストラトを2本ユニゾンで重ねました。あまり目立ちませんが気に入っているクランチ・サウンドです。確かこの曲のギターのダビングのみ自宅で行なったのですが、マンションの下の階の人から苦情がきてそれ以降は音が出せず、残りの曲は当時バイトしていた定食屋さんの2階を借りて録音しました。歌はどの曲も全て自宅での録音です。

 

 

7.私は何も考えない I think Nothing 2008
変なタイトルですが、『私は何も考えない』という蛭子能収さんの漫画があって、そこからそのまま借用しました。高校1年生の頃に作った『砂丘』という曲があり、元はそれを変形させて作った曲です。2008年の5月に山本さんと知り合い、ドラムとセッションする時にこんなフレーズを弾いてみたらどうだろうかと思って作り始めた曲だったと思います。
蛭子さんの漫画は、同時期に仲良くなったアーティスト、飯田華子さんの家に初めて遊びに行った際に「これ読んでみて」と貸してもらったのでした。この漫画が物凄く衝撃的だった、というわけではないのですが、その割りに何故か自分の中に何となく象徴的に残っている作品で、これを境に自分は本格的に「奇妙な世界」に足を踏み入れることになったような気がしています。
しかし実はこの曲は、漫画からタイトルを頂いた割に曲想などはそれほど影響を受けているわけではありません。もうどういうつもりで作ったか忘れてしまった部分もあるのですが、大きなテーマとしては「言葉」というものがあって、誰かに何かを伝えようとどんなに言葉を選んでも、常に雲を通して会話をしているような「壁」、つまり限界のようなものを感じるという感覚、その辺りのことを、デカダン的な雰囲気で表現したかった曲だと思います。あと「ふたりは空気の底に飛び立つ前の準備をしている最中」という歌詞が出てくるのですが、これは手塚治虫さんの「ふたりは空気の底に」という漫画から言葉を拝借したものです。漫画ばっかりですが、。
実はこの曲は収録するか否か割と途中まで迷っていた曲でした。他の曲は大抵ベーシックを3〜4テイク以上録った後で良いテイクを選びダビングを重ねていく、という手順で作ったのですが、この曲だけはベーシックレコーディングの最終回の最後の5分くらいで、メンバーによっては曲の構成確認もウロ覚えなまま(当時はライヴでは殆どやっていなかった曲なので)、半分即興のような形で1テイクだけ捩じ込むようにして録音したものだったからです。曲の始まりに「おつかれさまでした〜いきま〜す」という声が入っているのはそのためです。そんなわけで演奏には粗い部分が多く、即興的すぎてダビングをするのも困難だったので、ギターとヴォーカルをダビングした以外は殆ど全てベーシックのままです。でもそのラフな感じがこの曲に合っているかなというか、1曲ぐらいこういうのがあっても良いかな、ということで収録することにしました。結果的には入れて良かったと思っています。今度丁寧に録り直してみたいという思いもありますが。
そしてこの曲のみ、レコーディング前後で割と主要なメンバーだったもののいつの間にか何となく居なくなっていた伝説のメンバー・野原さんのサンプラーの音が残っています。判りにくいかもしれませんが、人の声のようなノイズのような缶の転がるような、絶妙な音で効果的な即興演奏を加えてくれています。そういえば野原さんも蛭子さんの漫画が好きでした。
余談ですが、この曲は高校生の時に作ったばかりの頃、6分くらいある長い曲でした(現在の倍の長さ)。音楽的には殆ど同じことを繰り返しているだけであまり芸がないのに、どうしても歌詞を削れないと思っていたのです。でも何年か経って改めて考えたら、半分以下の長さで全然良いじゃん、と思うようになりました。この曲の歌詞にある「君のためにメモしといた言葉は音もなく腐る」ということが実際に起こったわけです。それは少し成長できたようでいて、曇りの日に砂丘に立って黙って海を眺めている時のような、静かで身軽で少しだけ寂しいような気分でもあります。

 

 

8.あの子の街 Your Town 2009
2つめの山本さんの曲です。山本さんの曲はdisc1と2に2曲ずつ、服部峻のカヴァーは1曲ずつ、山本君の曲はdisc1にだけ1曲、という配置になっているという点も、対称なようで対称ではない「キラリティ」になっています(こじつけっぽいですが)。
しゃしくえは2007年に僕が1人で始めて、2009年から1年ほど山本さんと2人でやっていた時期があったのですが、その頃から演奏していた曲です。当初は『あの塩素の匂いを思い出すんだ』という曲名でした。『キラリティ』に収録した中でその頃から演奏していた曲は他に『恐竜はどこへ行ったのか?』『私は何も考えない』などがあります。
やはりこの曲に関しても、作者ではない僕は曲の内容などに関しては発言できません。
録音は『白い煙』同様、山本さん・山本君・僕の3人でベーシック録りを行い、山本さんのギターヴォーカルと山本君のシンセはベーシックのものをそのまま使っています。山本君のシンセは後半で電子効果音的な小気味良い即興演奏を挟んできます。僕のエレキギターはこの曲の演奏を始めた頃から殆ど変わらず、基本となる流れを決めつつ即興的なフレーズを織り交ぜていく感じでいつも弾いてきたのですが、アルバム収録にあたってもう一度始めから細かくフレーズを練り直したり、即興演奏の中からフレーズをピックアップして組み立て直したりして、複数のギターパートが掛け合うような形に振り分けて作りました。前半に1カ所ヴァイオリンソロ+ベースで室内楽っぽくなっているところがありますが、そこのヴァイオリンのフレーズは僕がベーシックで何となく即興で弾いたものを元にしています。大福さんにベーシックを送って「ここに何かソロを考えて入れてほしい」と伝えてレコーディングに臨んだら、ギターをそのままコピーして弾いてました。でもそれが良い感じになったと思っています。

 

 

9.火の家族 Flame Families 2010
2010年の大晦日から2011年の元旦にかけて作った曲。父親の実家である長野に帰省している時に作りました。父親の実家ではその頃祖母が癌で体調が思わしくなく、でもその一方で従姉が祖母にとって初めてとなる曾孫の出産を控えていました(曾孫は元旦に無事生まれました)。そんな中、大晦日の夜(=元旦の未明)、年が明けてすぐに母と2人で家の裏にある山の中の神社にお参りに行くと、前の年のお札や達磨が大量に焚火の中で燃やされていました。神社にはいくつか祠があり、あまり人が見向きしない一番小さな祠の前に行くと、神像の前に1粒のクルミが置いてあり、母が「神様の前にクルミが置いてあるよ」と言いました。その帰り、山を降りて空を見ながら母と歩いていると、大きな流れ星が見えました。曲の最後の方に出てくる「闇夜を飛び交う火の粉の中で真っ赤なダルマが燃え上がる その山の上を流れ星が通る どちらも人の願い事を背負っている とても小さな神様の前に小さなクルミが敷き詰められる 一年の始まりの雪の中を2つの命が駆け抜ける」という歌詞は、これらのことをそのまま書いた歌詞です。
1番のサビに出てくる歌詞も、夏の長野の昼の風景を描いたものです。2番のサビに出てくる歌詞は、冬の山形の夜の風景を描いたものです。山形は母親の実家です。日本海が近い港町に吹く、冬の夜の怪物の咆哮のような風の音、軋む家屋。闇の底から込み上げてくるような、もはや残酷ですらない、ひたすら純粋な「寒さ」のようなものを描こうとしました。
夏の長野と冬の山形という2つの世界を対比して描くことをベースに、日本の「地方」と呼ばれる地域の姿、そしてそれを取り巻く家族や記憶というものについて、自分なりに表現しようとした曲です。
全18曲中で最長、10分44秒の長さを持つ曲です。ブレイクを挟んだ前半と後半は、別の日のベーシックテイクを繋ぎ合わせています。
ピアノの演奏はかなり即興的な部分が多く、確か8テイクくらいを何度も聴いて、良いフレーズを抽出して切り刻んで繋ぎ合わせて作りました。即興演奏同士で掛け合いになるような部分があったりもして、かなり凝ったフランケンシュタイン状態になっています。
そしてこの曲の見せ場は何と言っても、最後の3分に渡るギターソロです。左チャンネルで鳴っているのが僕のソロ、真ん中で鳴っているのがバンド「俺はこんなもんじゃない」の狩生健志さんのソロ、右チャンネルで鳴っているのが「ザ大日如来ズ」の延江仁君のソロです。僕と狩生さんのギターは1テイクですが、延江君のソロは、10テイクぐらい様々な音色・弾き方で演奏してもらったものをやはりバラバラにして繋ぎ合わせています。で、さらにその3人分の演奏を並べて、各所の美味しいフレーズが目立つように細かく調整、3人が次々に入れ替わり立ち代わり前面に現れて演奏を繰り広げるギターバトルのような作りになっています。
狩生さんのソロは狩生さん自身による録音で、データファイルでやり取りしました。『キラリティ』全録音中、ここだけが僕以外の手による録音です。
延江君のソロは2013年の夏のある暑い日、エアコンもつけない(録音中なのでつけられず)閉め切った部屋で、半ば頭がおかしくなりながら録音しました。延江君は途中から半裸で、「チョーキングしすぎで手が痛い」と言っていました。基本的には左右で僕と延江君のソロが鳴っているのが中心になっていて、狩生さんのソロ(フィードバックを活かしたロングトーンタイプのソロと、ファズを効かせたノイズのようなソロ)が裏側で対旋律のように唸りつつ時々フレーズを伴って浮上してくる、という構成になっています。一聴して聴き分けるのは難しいかも知れませんが、三者三様の個性がよく表れています。狩生さんの使用ギターはフェンダーストラト、延江君はギブソンSG、僕はリッケンバッカー(確か)です。
曲の最後にギターソロが入ってきて延々弾きつつフェードアウトしながら終わる、というアレンジは世の中によくあると思うのですが、そこをフェードアウトせず最後まで収録する、というアイディアというかコンセプトに基づいて作ったものです。1つの「曲」として考えた時には明らかに「長過ぎる」ソロだとは思うのですが、そこを敢えてやるというか、ウンザリされても良いから自分の「ロックギター愛」のようなものをここにだけ過剰に表現しようと思って作り上げました。
そして過剰なギターソロが終った後、元に戻って素朴な弾き語りで終わる、という循環的な構成になっています。最後の部分の歌詞は、新しく生まれてくる子どもたちに、そこがどんな街であっても穏やかな気持ちで育っていってほしい、というような気持ちを込めて書いたものだった気がします。
ピアノやギターの編集に気を失いかけるほど体力と精神力を奪われましたが、今作の録音方法を最も活かせた曲でもあり、最終的には楽しい作業でした。と思うようにしています。

 

 

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