Memos For Darkness *Section 2

10人のゲストについて

2020年5月10日 書き始め

1つめのセクションでは、制作を開始した2015年からアルバム発売の2019年までの出来事を、時系列に沿って書いてみた。2つめのこのセクションでは、『Darkness』に参加してくれたゲストの方々について、僕の視点から簡単に紹介をしていきたい。セクション1と重複する部分も多少出てくる気がするし、彼らの紹介のみならず、各ゲストの参加を通じて僕が考えたことなどを、しばしば脱線しながら書いていくことになると思う。ちなみに、こちらのページには各ゲストが提供してくれたプロフィール情報が載っているので、オフィシャルなデータについてはそちらを見てもらえたら十分だと思う。以下、記載は五十音順です。

 

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青木龍一郎 Ryuichiro AOKI [from HASAMI group
詩,朗読,声

『Darkness』を作り始めたのは2015年の3月31日。青木くんとは、その翌日の4月1日にひょんなことから知り合った。通っていたホットヨガの教室がたまたま一緒だったのだ。同い年ということもあって、少しずつ色々な話をするようになっていった。それ以降、年に数回くらい桜やホタルを観に出かけたり、飲みに行ったりする関係が続いている。2018年には青木くんが主宰するプロジェクト・怖い卓球部に参加させてもらったり、2019年の夏には彼の活動の中心ともいえるHASAMI groupのライヴでサポートメンバーとしてベースを弾かせてもらったりした。どちらもとても大切な思い出として自分の中に残っている。

実は青木くんと知り合う数年前に、僕はネット上で彼の情報を目にしたことがあった。しかしその時は「なんだか怪しげな活動をしている人」という程度の認識をしただけで、ちゃんと音楽を聴いたり文章を読んだりはしなかったと思う。でも友だちになったことをきっかけに改めて彼の作品に触れて、その量と、類例のない性質に驚かされた。

青木龍一郎の1ファンとして「彼の作品がどんな風に凄いか」ということを書き尽くそうとすると、ここでは紙幅が足りない。なので今回は『Darkness』に直接的に関わってくる部分に絞り、彼の魅力について書いてみたい。

彼は音楽と文章を軸に、映像作品や批評的な活動(と呼んで良いのか分からないけれど、「YouTubeベストビデオ100」などのシリーズは一種の批評性を有していると僕は捉えている)まで、幅広い創作を展開している。

非常に多岐に渡っていて全てを紹介することはできない。しかし、どの作品にも通底する彼のアーティストとしての根本的なアイデンティティは何か?と考えると、その1つは恐らく “詩人” だろうと思う。そしてそのポエジーの基盤になっているのは、僕たちが幼少期から大人になるまでを過ごした「平成」という時代の後半に存在した空気であるように思える。僕にとって、青木龍一郎以上にこの空気を生々しく、そして独創的に表現できる人物はいない。

たとえば、近年のHASAMI groupの代表曲の1つともいえる「夢の泡立ち」においては、まず曲のテーマである「O157」が僕たちの小学生の頃の記憶に根強くリンクしたキーワードだ。

そしてこの曲の冒頭の、

20歳のときに右目の下にカメムシみたいなアザを作った
泥水浸かった指の汗 灼熱照らした頬の先

という歌詞は、幼い頃の外遊びや、夕方のテレビに映っていたアニメ番組などを思い出させる。またそれらの言語的な要素のみならず、メロディやリズム、音色までもが “あの頃” を強烈に表している。こうした楽理的要素に関してはここでは詳述を避けるけれど、彼が使用しているDAWソフトの機能的な特徴などは、それをもたらしている近因の1つとして挙げられると思う。

あるいは「カルト」という楽曲について青木くんと話していた時のこと。彼は確か「金曜の夜、夕食を食べたあとに家族でツタヤに行って、同じクラスの女の子とバッタリ会って、そのあと家に帰ってテレビをつけたらミュージックステーションが放送されてる、みたいな感じ」というようなことを言っていたと思う。……と、いきなりこんなことを書いて伝わるだろうか? でも、僕にはこの感覚がとてもよく分かる。自分の身に起こった出来事ではないけれど、あたかも自らの記憶のようにその場面を思い起こせる気がするし、これより切ない状況はなかなかないだろうな、とさえ思う。

「カルト」の前半の歌詞はこうだ。

When I was just a little boy
My mom asked me what will I be
long long long logn long time ago
Days and mouth and years
You was so beautiful
I am always alone
I lived in a city with you

So you are CULT
You are CULT
CULT
OCCULT of that city

So you are CULT
You are CULT
CULT
OCCULT of that city

When I was just a little boy
My mom asked me what will do
with you in that city
you was so beautiful
I am Always alone
I will start a new life in this city

この楽曲の詞と音には、上記の「金曜日の夜」のような瞬間の、濃密な空気が映し出されていると思う。確認してはいないけれど、もしかしたら上記のツタヤのエピソードは、青木くん自身の体験ですらないのかもしれない。でもそういった瞬間はきっとあの時代、あらゆる街のあらゆる子どもたちの元に訪れていたと思う。

そしてこれらの楽曲には、過ぎ去った時代に対するパロディやオマージュ、あるいは少年期の記憶へのノスタルジアといった要素のみならず、平成という時代の終わり / 令和という時代の始まりに存在する現在の彼自身の視点が共存している。それは、安易に過去を愛でたり皮肉ったりする類のものではない。たとえるなら、アルベルト・ジャコメッティが「歩く人間」という存在に驚愕し、その姿をひたすら “見えたまま” 描こうとした姿勢にも通じるものだと、僕は思っている。対象の本質を抉り出し、それをありのままに、しかし同時にその作家でしか出来ない表現方法で活写するような姿勢だ。それは対象へ過剰にコミットメントするものではなく、逆に俯瞰した視座の余裕っぷりを提示するようなものでもない。しかし「そのまま描いている」だけでありながら、作家にとっての必然性と切実さを伴うものだ。彼の作品に描かれる時代や人間、動物や景色は、そうした力強さを纏い、ひたすら「そのまま描かれているだけ」であるがゆえに、幅広い受容に繋がりうる普遍性を宿している。

青木くんが手がけている作品のうち、音楽以外で代表的なものの1つに「関東チェーンソーチェーンソーズというブログがある。最近の彼はこのブログに上げている文章のことを「おもしろテキスト」だと言っているけれど、僕は完全に現代詩として捉えている。そしてここにも、先に挙げた2曲のように「平成」という時代の空気は頻繁に表れている。たとえば2017年に書かれた「ディスカウントスーパー」という作品。この作品の最後に登場する、

彼女の家の前は区画整理が進んでいた。
見たことないデザインの歩行者信号が設置されていた。
2020年に向けて僕たちの住む街が少しずつきれいになっていく。
ディスカウントスーパーで弁当を選んでいるとき、
君は336円の竜田揚げ弁当を手に持った。
あれは本当に楽しく、そして確実に現実ではなかった。

という一節などは、僕たちが観てきた景色の生々しいリポートであると同時に、全く違う世界の神話としても自分には読める。それは彼が、実体験に基づきながらも、その核を取り出して観察し「そのまま描く」ことによって、言葉の中にしか存在しえない独立した世界を生み出しているからだと思う。それは明らかに「詩」と呼ばれるものだと思う。

今回、青木くんにゲスト参加をお願いするにあたり、どのような形で加わってもらうかを決めるのには少し時間がかかった。最初から明確なヴィジョンがあったわけではなく、とにかく彼と一緒に何かを作ってみたい、という思いがまずあり、色々な角度から打診をしてみた。最初はHASAMI groupの楽曲にも入っているようなノイズを作ってもらい、それをミックスで曲に組み込めないかと思っていたのだが、これはなかなか上手くいかなかった。聴いたことのない曲をいきなり渡されて「ノイズを入れてくれ」と言われても、幅が広すぎて無茶だったなと思う。青木くんは後日、「ノイズって何だろう、って考えちゃって」と言っていた。そこで少し考えて、音ではなく言葉=詩での参加をお願いしたのだった。

青木くんの詩について僕がまず思うことは、先ほどの「平成感」とでもいうべきもの以外にもう1つある。それは「街」の歌、「街」の詩、だということだ。彼の曲の中では、日本の郊外の景色が頻繁に歌われる。それは「平成感」と同様にある種の郷愁を放つものでありながら、一般的に「シティポップ」と呼ばれている音楽が示しているような世界観よりももっと広い視野を持った、名状しがたい何かだ。「街」という1つの箱の中で人間が生まれ、時が流れ、生活が続いていくことへの驚きや言祝ぎ、あるいは諦観のようなものかもしれない。

別セクションで詳述するけれど、僕が『Darkness』というアルバムで描きたかったものの1つは、今の日本という国で一般的に「地方」や「郊外」と呼ばれている場所の風景だ。しかしやはり、それらを安易な郷愁として表現したいわけではなかった。非都市的な閑散とした風景、一見特徴の無いような地味でありふれた街の姿を描く時に、分かりやすい “等身大” な情感とともに語るのではなく、ただ「無さ」をそのまま淡々と描きたかった。こうした試みはアルバムの様々な部分に散りばめられているけれど、その1つとして、青木くんの詩を取り入れたいと思い、彼に依頼したのだった。青木くんは栃木、僕は東京の区部西端で生まれ育った。もちろん環境の違いはあるけれど、都市の中心地ではない、その外れの「街」に生まれ育ってきたという意識は、ある部分で似たような位相を持っているのではないかと思う(そして、どんなに都会的な場所で育ったとしても、自らの故郷に対するそういったある種の空っぽな「街」の感覚を持たない人間はいるのだろうか、とも思う)。

青木くんがいつものやり方で詩を書いてくれれば、僕の視点とリンクするもの、あるいは微妙な差異を放ちながらも何か象徴的な役割をしてくれるものが、そこには少なからず含まれているだろうと思った。そして、それはやはり大成功だったと思っている。青木くんが書いてくれた素晴らしい詩の中から2つを選ばせてもらい、そこに別の詩の1部を組み合わせる編集を僕が施した。そしてそれをしゃしくえの山本くんと大福、青木くん本人に読んでもらったものを僕が録音&ミックスして、朗読のみの2つのトラック「それが恥ずかしくて笑ってしまう」「伝説という感じな気がするのだが」ができあがった。

そして青木くんの録音の際には、彼の魅力の1つである、非常に驚異的なヴァリエーションと表現力を備えた「奇声」も録音させてもらった。この声は、トゥラリカの匠くんのモジュラーシンセなどと掛け合わせ、また別の独立したトラック「To The Dark, Some Vocal Cords」として成立した。これらの音の構成についてはまた別のセクションで書きたいと思う。

僕と青木くんは、たとえば忌憚なく “親友” と呼び合えるような、フランクな仲ではないと思う。でも彼と話していて、彼の中にある屈強な芯のようなものを感じることはとても心地が良いし、いつも素晴らしい刺激をもらっている。彼がどう思っているかは分からないけれど、面と向かって話す時には、理由のないくすぐったさや気恥ずかしさが、今だにうっすらとお互いの間に挟まっている気がする。もしかするとそれは、隣町の中学校に通う同学年の生徒と、学習塾のクラスで机を並べた時の気恥ずかしさに似ているかもしれない。同じ時代に同じような場所で生まれ育ちながらも、少しだけ違う「街」に住んでいたことに伴って発生するこうした感覚は、自分にとってはむず痒くも愛しいものだ。

年に数回、彼と桜やホタルを見物しに出かけたり、HASAMI groupのみんなで飲みに行ったりする時間は、自分にとってとても楽しみで大切な時間である。そして青木龍一郎という人間は、自分の世代で最も重要なアーティストの1人だと思っているし、そんな男が同世代にいることと、彼とバッタリ知り合うことができたのは、自分にとって幸運だったと思っている。もしネット上でしか接点がなかったとしたら、僕たちはここまで一緒に何かをする関係にはなっていなかったような気もするからだ。言葉にできない時代や街の空気を鋭く捉え、その「言葉にできなさ」を保ちながらも、同時に鮮やかなポップネスをも与え、大量の作品に変換できる彼の才能が僕は羨ましい。

 

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江原優美香 Yumika EHARA

今回の曲者揃いのゲストたちの中において、逆に最も異色というか、なぜ彼女のようなちゃんとした邦楽の演奏家がしゃしくえのようなアンダーグラウンドのバンドと繋がりがあるのか? と思われるかもしれないけれど、江原さんはもともと山本くんと同じ大学という繋がりで、恐る恐る参加を打診したら運良く快諾してもらえたのだった。

セクション1でも書いたけれど、江原さんを誘った時点で、僕はちゃんと琴の演奏を聴いたことがなかった。どのようなアレンジで参加してもらうかという点についても明確なヴィジョンはそれほどなく、もちろん琴という楽器の録音をしたこともなかった。そんなわけで、こちらから打診しておきながら、上手くアンサンブルに加えることができるのか? ちゃんとレコーディングできるのか? と、やや不安な部分もあった。

しかし江原さんの演奏技術の確かさと音楽的発想の豊かさ、そして録音現場での僕の挙動不審なお願いを汲み取ってくれる柔軟さなどによって、レコーディングはとても順調に進んだ。でもこれは予想外だったというわけではなく、恐らく江原さんならきっとこんな風に取り組んでくれるのではないか、というポジティヴな予感があった。というか、だからこそ江原さんにお願いしたくなったんだと思う。琴という楽器をどうしても取り入れたい、というアンサンブル上の要請が先行して存在したわけではなく、江原さんというフレキシブルで懐の深い人物と知り合えたので、彼女と一緒に作品を作ってみたいと思った、という流れだ。クラシックやジャズといったオーセンティックな音楽を習得している人で、しゃしくえのような音楽に興味を持って柔軟に取り組んでくれる人というのは、そう多くはないと思う。今回参加してくれた中で江原さんと拓海さんの2人は、ある意味そういった技術がベースにある音楽家だけれど、2人とも有難いことにとても真摯に録音に取り組んでくれた。そういった人たちの力をいかに『Darkness』の中に配置するか、という点については色々な面で考え、面白い形にまとめられたのではないかと思っている。特に江原さんについては、今回が初めての共同作業だったので、とても新鮮な気付きを色々と得られた。

録音に先立って江原さんに送ったデモは「流れの中のありがとう(Thanks For Your River)」「Little Dragons」「湖(2 つの横顔のための)」「ユートム(2009 年の友に)」「闇」「氷だけが」の6曲。「闇」への導入のインプロヴィゼーションとして江原さん含む数人の演奏をダビングした箇所は、「In The Dark, Japanese Ground」という独立したトラックになった。また、当初「ユートム」の前奏曲として江原さんに作ってもらった短い曲は「From The Dark」という全く別の役割を持ったトラックとして収録されることになった。この曲はアルバムのクライマックスで季節が変わる瞬間のように新鮮な空気を吹き込んでくれる、重要なものとなっている。そしてこのトラックは江原さんの多重録音のみで構成されているので、もはや彼女のソロ曲と言っても良い。僕はただレコーダーを回し、即興的な部分に関して少しアイディアを出しただけだ。そんなわけで江原さんの参加曲は最終的に計8曲となり、これはゲストの中でも最多。アルバムの中にたくさんの豊かさをもたらしてくれた。

琴という楽器をアンサンブルに加えるにあたって明確なヴィジョンはあまりなかった、と先に書いた。ただ、いくつか何となく考えていたことがある。それは青木くんの項でも少し触れたように、「日本」という土地をアルバムの中で表現しようと思ったこと。そして日本を象徴する楽器の1つとして琴を入れたいと思ったことだ。しかしこれもやはり青木くんの項で触れたことと通底するように、分かりやすいジャポニズム的な要素として琴を使うことは避けたかった。安易な「和」を感じさせるのではなく、場面によってはハープのように響くことで無国籍的でもありつつ、同時に日本の地方都市が放つ土着の気配のようなものを加えたいと思った(上記の「In The Dark, Japanese Ground」というタイトルなどは、こういった考えを分かりやすく象徴している)。江原さんとのレコーディングは、そうした点に留意しながら進めていった。これらの点においても彼女はとても柔軟に僕のリクエストに応えてくれて、本当にありがたかった。

ところで琴の録音については、初めて取り組む不安もあり、実験的に色んな種類のマイクを色んな場所に計4本ほど立てて行なってみた。琴の録音は今に至るまでこの1回しかやっていないので良し悪しを判断しきれない部分もあるのだけれど、なかなか良い音で録れたと思っている。そして、ミックスがしやすかった。これも正確に計測をしたわけではないので断言はできないのだけど、琴という楽器は倍音の純度が高く、とても澄んだ音をしているように聴こえた。こうした意味での明瞭性は、今回録音した中だとフルートとも共通する性質だと思う。ミックスでは曲によって各楽器をどの周波数帯に配置するかを変え、それに合わせてEQを調整していくのだけれど、琴は「使える」サウンドになるポイントがかなり多かった。『Darkness』ではかなりたくさんの楽器が入り乱れ、場面によっては上から下まで全ての周波数帯がみっちり埋まっている部分も多い。そんな中で、琴のサウンドの懐の広さには助けられた。

そして「澄んだ音」というものは、サウンドに煌びやかさ・美しさを与えてくれるだけではなく、ある種の「実体のなさ」のようなものとも繋がっているように感じられた。これは無常や空虚といった観念をも想起させる性質で、日本の風土や精神性とリンクしているようにも感じているのだけど、もう少し深く考えたい点なのでここでは詳述を避ける。いずれにせよ江原さんという人物が琴という楽器でこの作品に参加してくれたことは、本当に幅広い肥沃をもたらしてくれたと思う。

 

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大西かずき Kazuki OHNISHI [from トゥラリカ, 鑑み大西
Electric Bass,Rhythm Track

名古屋を拠点に活動するトゥラリカというバンドを知ったのは2011年、ギター&ヴォーカルの横山匠くんと知り合ったのがきっかけだった。(そのきっかけについては、のちほど彼の項で詳しく書きたい。)

トゥラリカに関する色々なことを知っていく中で、ベース担当の大西さんのことを最初に認識したのがいつだったか、ハッキリとは憶えていない。しかしバンドでのタイトなベースプレイのみならず、ソロユニット「鑑み大西」のハイクオリティかつ自由な奇想に満ちた楽曲、そして何とも形容しがたい紳士的かつ狂気的なキャラクターに触れて、確か2013〜2014年頃には僕は彼の大ファンになっていたと思う。

2014年の暮れに、匠くんがしゃしくえの1stのレコ発を名古屋・KDハポンで企画してくれた。が、諸事情でその日はトゥラリカが出演できなくなり、匠くんの別バンドである「トキノミノル」が出演してくれることになった。そんなわけでその日は大西さんにも会えず、彼との初対面は2016年の夏、トゥラリカがライヴをしに上京した時だった。その前からTwitterやメールで大西さんとやりとりをしていた僕は、初めて会えたのが嬉しくて、ライヴ後に彼の音楽について色々な質問をした。

大西さんは大学時代に音響などを専攻していて、トゥラリカの制作でも録音やミックスを手がけたりしている。「鑑み大西」では、彼が作り出す楽曲や音響空間の端正さがよく分かると思う。演奏や制作に関するそういったある種の職人的な技術は彼の基盤の1つだけれど、一方でその音楽の根底にはやはり形容しがたい狂気的な精神性が静かに漂っている。それに関しては実際に楽曲をいくつか聴いて体験してもらうのが早いと思う。ただ、あえて自分の言葉を添えるなら、僕は彼の音楽に触れていると、自分の頭の中に、彼の脳内に存在する仮想空間がインストールされてくるような感覚を抱く。それは、彼のルーツの1つでもあるテレビゲームの性質にも近いものなのかもしれない。目の前に人工的な空間が表示されて、いま自分がいるA地点から、前方に見えるB地点まで、RPG的に歩いていくような感覚だ。どこにもない架空の平原のような、あるいは整然とした無機質なニュータウンのような、自然と人工の中間に在る、奇妙で美しい空間だ。そして周囲は空や地面、街や木々で囲まれているけれど、そこは実は壁になっていて先には行けない、というような不条理な感覚も伴う。

話が少し飛ぶ、というか戻るけれど、音響の構築(ミックスなど)というものは、その過程でスピーカーの間に擬似的な空間を想定しながら進めていくような部分がある。特に「ステレオ」という2つだけのスピーカーに基づく場合は、その擬似性が強く意識されると思う。なぜならそのシステムの中では、人間の感覚の習性や錯覚を利用する場面が多いからだ。大西さんの楽曲においては、そういったゲーム的な仮想性と音響的な擬似性が、稀有な位相で密接にリンクしているように感じられる。そこに物凄く丁寧に誂えられた詩情と狂気のようなものを感じて、魅力的だといつも思うのだ。

セクション1でも書いたように、ゲスト参加してもらうにあたっての大西さんとの実際の作業は、全てメールを介して行なった。リズムトラックで「湖(2 つの横顔のための)」、ベースで「流れの中のありがとう(Thanks For Your River)」「Little Elephants」「闇」「氷だけが」、の計5曲に参加してもらった。アレンジの概形に関してはどれも大西さんが最初に送ってくれたままの状態。そこに僕の方からごく細かい部分の調整を何度かお願いして、ブラッシュアップしていった。とても積極的かつ真摯に付き合ってくれて有り難かった。参加曲の作業が終わった後も、ミックス面やもっと幅広い「音楽に対する考え方」みたいなことに関してメールで話したりして、とても参考になった。どの曲の作業も思い出深いけれど、一番は「流れの中のありがとう(Thanks For Your River)」かもしれない。この曲は前半では僕、後半では大西さんがベースを弾いている。前後半の変わり目で、全ての楽器がユニゾンでE-Fの音を弾く部分があるのだけれど、そこもちょうど半分ずつで、Eは僕、Fは大西さんの音になっている。僕の酔っ払いみたいなベースから大西さんの端正な演奏に切り替わるという、多重人格のようなアレンジにしたかった。曲の途中でベースが入れ替わるというアイディアはなかなか無いと思うので、こういう形で表現できて嬉しかった。他の曲からも、大西さんのスマートな演奏とそこに小気味よく挟み込まれる爽やかな狂気を感じてほしい。

大西さんと匠くんは僕よりも3つ学年が上だけれど、同世代としてこれからも歩んでいきたいと思っているミュージシャンだ。最後に、鑑み大西の素晴らしい楽曲群の中で、僕が特に好きな2曲の歌詞を紹介しておきたい。彼の端正な狂気は、作曲や音響のみならず言葉の中にも表れていると思う。(歌詞の表記に関しては、僕の独断です。)

透明の端末を水に浸けたまま朝を迎えて
日差しのない部屋にイタチがやってきた
沈黙の挨拶を済ませよう
塔に隠した宝は離れていても見える

「瑠璃色の水晶を見たことがあるか?」
と書かれていたのは見慣れない字の手紙
不思議に思うのは無理もないだろうけど
顔のない人形を大事にしてた

結んだ糸を気になればまたほどき
大切な仲間と愛した人も忘れ
孤独な時間に慣れすぎてしまった
窓際で遠く見つめる賑やかな子どもたち

 

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岸田佳也 Yoshinari KISHIDA [from トクマルシューゴ, OWKMJ, MACOGHARI, and more]
Drums

岸田さんは以前から多方面で活躍している方なので、僕から特別な紹介をする必要もないかなと思う。最初のセクションでも書いたように、僕はバンド「俺はこんなもんじゃない(OWKMJ)」の同僚として一緒に演奏させてもらっている。僕がこのバンドに加入したのは2012年の秋。彼とはOWKMJに加入して最初のライヴの日に初めて会った。大柄な身体と比例するようなビッグハートを持った岸田さんは、いつでも誰にでもフレンドリーに接していて、ムードメーカーのような感じ。友人の「虎」というバンドのアルバムに収録されているライヴ音源には、観客としてその場にいた岸田さんの笑い声が入っているが、その声は彼のポップな人柄を象徴していると思う。岸田さんは僕の11歳上なので、年齢がゾロ目になる年が同じ。2013年には僕が22歳、岸田さんが33歳になった。自分はこのバンドでは圧倒的に最年少なのだけど、加入した当時から今に至るまで岸田さんはいつも気さくに接してくれてありがたい。

録音に際しては、「流れの中のありがとう(Thanks For Your River)」「Little Elephants」「Little Dragons」「ユートム(2009 年の友に)」「闇」「氷だけが」の6曲の音源を予め送って、アレンジを考えてきてもらい、1日で録音した。(ちなみにもう1曲、「In The Dark, Japanese Ground」では岸田さんのウィンドチャイムの音を使わせてもらっているのだけれど、これは僕のうっかりミスでCDのクレジットに載せるのを失念しました…今回のCDで文字情報に関するミスはこの1点のみ)

岸田さんは気さくなだけではなくとても繊細な人で、送った音源をしっかり把握してレコーディングに臨んでくれた。加えて、現場での僕の即興的なオーダーにも色んなアイディアで応えてくれて、とてもスムースに進んだ。ドラムを後からダビングするというのはあまりやらない手法だけれど、柔軟に対応してくれた。どの曲にも岸田さんらしい、タイトでグルーヴィなドラムを入れてくれている。特筆すべきは「闇」と「Little Dragons」かと思う。前者では、僕は日本の古いフリージャズのような湿度を持った音像を作りたかった。ドラムでいえば、たとえば冨樫雅彦さんのような。そんなオーダーを、即興的にスタジオでした覚えがある。最初はリズムに沿った感じのドラムを叩いてもらったのだけど、徐々に自由度を上げて、結果的に採用したのはかなりフリーキーなテイクになった。そういうタイプの岸田さんの演奏が聴ける録音物は少し珍しいと思う。また「Little Dragons」では、ドラムを2テイク重ねていて、よく聴くと1人ではできないドラミングになっているのが分かると思う。こういった実験にも快く付き合ってくれてありがたかった。

しゃしくえのアンサンブルにはリズム面での弱点があり、僕も正直リズムに対しては苦手意識あるのだけれど、岸田さんが参加してくれたことによって、アルバムにビシッと一つの筋が通ったような気がしている。

 

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佐志田葉輔 Yosuke SASHIDA
Contrabass

高1の終わりか高2の初めころ、バイトしていたスーパーの近所で、今も紙芝居アーティストとして活躍している飯田華子さんと知り合った。自分が音楽をやっていると話すと、飯田さんの知人の服部さんという人物がギターを探しているということで、そのバンドに誘ってもらえることになった。そして高校2年生だった2008年の秋に、僕は生まれて初めてバンドのメンバーというものになった(同年の春から、同い年の友人たちとHIPHOPのグループをやっていたのだけど、あれはバンドと呼べるのか分からない。このグループについても書きたいことは色々あるのだけれど、今回は機会がなさそうなので省略)。そのバンドはのちにYOYOYOYORUNOという名前になって、僕は2012年頃まで在籍することになる。このバンドはその後、2016年から活動を休止しているようだ。

初めてのバンドということで、YOYOYOYORUNOでは色々なことを学んだと思う。リハーサルスタジオという場所を初めて日常的に使ったのもこのバンドだったと思う。というか僕はそれまで、オリジナルバンドはおろかコピーバンドさえも殆どやったことがなく、ベースは多少弾けたが、ギターに関してはほぼ自分の曲しか弾いたことのないような状態だった。完全な初心者といっても良いレベル。そんなわけでこのバンドでは、ほぼ勘のみを頼りにギターを弾いていった。ちなみに2011年にはこのバンドのレコーディングをOWKMJの狩生健志さんにお願いし、それがきっかけで僕は翌年OWKMJに加入することになった。

このYOYOYOYORUNOというバンドのベーシストが、今回『Darkness』に参加してくれた佐志田さんだった。リーダーの服部さんは僕のちょうど10歳上、佐志田さんとドラムのカナコさんはそれより少し歳下だったけど、高2の自分からするとやはりかなり大人、先輩であることには変わりなかった。でもそんな僕にも3人はとても親切に接してくれた。今思うと、もっと後輩らしく可愛気のあるふるまいをすれば良かったなと思ったりもする。

佐志田さんはその頃からずっと、一言でいえばかなり「ベーシストっぽい」、寡黙な人だと思う。演奏にも無駄な派手さなどは一切なく、手堅くボトムを支える感じ。ただ、その手堅さの中に独特のユーモアやダークなエスプリが漂っていて、ただ控えめなだけではない。2010〜2011年には、何度かしゃしくえのライヴでもベースを弾いてもらったことがある。エレクトリックベースもコントラバスも素晴らしいのだけれど、今回はジャズっぽい質感、アコースティックっぽい空気感を強く出したかった「Jasmine」「ユートム(2009 年の友に)」「流れの中のありがとう(See You River)」の3曲で参加をお願いした。

実はレコーディングの際には他にも2曲、「流れの中のありがとう(Thanks For Your River)」「Little Elephants」にデモ的なエレクトリックベースを簡単に入れてみてもらった。しかしこの2曲のアレンジは僕のイメージと少し違ったので、佐志田さんはコントラバスの3曲のみでの参加になり、あとの2曲は最終的には大西さんにベースを弾いてもらうことになった。デモを録音した際、佐志田さんに「もう少しこういう感じのアレンジで弾いてみてほしい」というようなことを伝えたのだが、彼は「いや、この曲はこっちの方が良い」と言って、結局そのアレンジ案はなくなった。しかし佐志田さんのアイディアは、僕の方向性とは違ったけれど、別のある視点に立てばそちらの方がベターだということも分かるものだった。そういった考えを真正面からぶつけてくれる先輩は有り難い存在だし、そんな内に秘めた強さのようなものが佐志田さんの魅力だとも思う。今後も一緒に音楽を作っていく機会があったらなと思っている。

 

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利根川信也 Shinya TONEGAWA [from 浜田山ワードオブマウス
Electric Guitar

利根川さん、というより「社長」と呼んだ方がしっくりくる(というか多分そう呼んだことしかない)ので、ここでもそう書くけれど、僕が高1の冬から約7年間にわたってバイトさせてもらっていた地元の定食屋「ワードオブマウス」を営んでいるのが社長。ここでのバイトの経験や社長の作るパンチの効いた料理、あるいは彼の異常に懐の深い人柄などは、僕の人生や音楽における礎の1つになっている。7年にもわたってバイトをさせてもらったし、今でもよく社長に会いに行ったりするので、そういった思い出は書き尽くせない。

その中から『Darkness』と関係することに限って書いてみたい。社長は鍋を振る一方、ギタリストでもある。でもそれを「趣味」と呼んでしまうのは憚られるというか…社長は80年代には有名バンドのレコーディングやライヴに参加したり、ギターコンテストで某超有名ギタリスト・Hを抑えて優勝したり、といった経験を持つ人物で、一線を退いた今でも、彼が弾くギターには現場仕込みの太い幹のようなものを聴き取ることができる。

僕がMTRを買って宅録を始めたのは高1の冬(2007年)で、社長の店でバイトを始めたのはその直後だった。働き始めたきっかけは偶然だった。そのころ僕は別のスーパーで焼き鳥屋のテナントのバイトをしていて、パートのオバさんとのソリが合わず、バイトを変えようとしていた。そんなある日、夜に地元の商店街を歩いていたら(確かShing02のライヴを観た帰りだったと思う)、ちょうど店から社長が出てきた。僕は少し前からその店の扉にバイト募集の紙が貼られていることを知っていたので、とっさに「バイトしたいんですけど」と声をかけたのだった。社長は「高校生は雇ってないんだけど…とりあえず話だけしようか」と言って店の中に入れてくれた。話している内に社長は僕の小・中・高の大先輩(全て地元の公立校)だということが分かり、音楽という共通の話題でも盛り上がり、「じゃあ仕方ねえからバイトしろよ!」ということになったのだった。はっきりとは覚えていないけれど、その時はジョージ・ハリスンとかソフトマシーンの話をしたような気がする。僕が「過去の伝説」として憧れを持って聴いていた音楽について、当時の生々しい記憶とともに語ってくれる社長の話に、僕は夢中になった。自分はその頃、主にギターではなくベースを弾いていた。その日の帰り際、「じゃあ今度ブルースでもジャムりますかね…」と社長が言ってくれたのが嬉しかった。

けれどその頃、僕はベースを弾いていたと言っても好きなJPOP系の曲を家で弾いてみたりしていた程度で、バンドで演奏したことすら殆どなく、ブルースのジャムのやり方など当然わからなかった。その一方で中古のMTRを買って宅録を始めていたので、曲を作りたくて勘を頼りにギターを弾いたりしていた。そんなわけで社長のようなセッションはできないし、作る曲といえばフワフワしたギターによく分からない歌詞が乗った、何ともいえないものばかりだった(これは今もそうだけれど)。しかし社長はそんな僕の音楽を面白がってくれて、ギターの弾き方やエフェクターの使い方、いろんな音楽の成り立ちなどを教えてくれた。使い古したエフェクターや宅録用のマイクなども大量にくれて、これらは今も愛用している。社長に教えてもらったディレイというエフェクターの存在は、自分の音楽に大きな影響を与えたし、今も演奏する際には欠かせないものになっている。バイトが終わった後のお店で、アンプを2台並べてディレイをステレオで鳴らすやり方を教えてもらった時の感動は忘れられない。ギターの演奏については、メジャーとマイナーのペンタトニックスケールを教えてくれたのも社長だった。そこから10年あまり、僕はほぼその時教わったペンタのみを使って色んなバンドの演奏を乗り切ってきてしまったので、今は逆にその手癖を乗り越えることに苦労している。

しゃしくえがライヴをするようになってからは、機材の相談に乗ってもらったり、2011年と2012年の年末にはお店の2階で「ディナーショー」と銘打ってライヴをし、友だちに観に来てもらったりした(思えば今に至るまで、しゃしくえの唯一のワンマンライヴといえるものはこの2つかもしれない)。2013年には、1stのギターを録音するためにお店の2階をしばらく貸してもらったりした。いま思えば、あまりにも図々しく頼りすぎていたなと思うくらい。

そんなわけで、『Darkness』に様々なゲストを呼ぶことを考え始めた時には、長いあいだお世話になり敬愛してきた社長に参加してもらいたいということは真っ先に頭に浮かんだと思う。自分の中では勝手に「師弟対決」的な意気込みもあり、ずっと尊敬してきた人との、長いあいだ夢みてきた共演なので緊張感もあった。

レコーディングは、お店に僕の録音機材を持ち込んで行なった。アンプは日本ハモンド社のJugg Box。このアンプは高校生のときに社長に借りて、とても好きだったので自分でもヤフオクで探し出して買ったのだった。社長の使用楽器は、彼が中学生のときに初めて手に入れたエレキギター、ボロボロのムスタング。録音する曲のデモは渡してあったけれど、それらをはっきり把握してもらってレコーディングに臨んだというよりは、その場で即興的に出てきたフレーズが多かったと思う。社長の演奏はブルース / ロックを主体にしつつも、ジャズやフュージョンを通過した複雑な響きが時おり挟み込まれる。その配分が絶妙で、泥臭くなりすぎることも、スタジオミュージシャン的な技術過多に陥ることもない。洗練されているんだけれど、1つ1つのフレーズはその場限りの即興的な響きも持っている。頭で弾くのではなく、さまざまな音楽を吸収し、血肉化された音楽力が本能的に指を動かしているような感じだ。同一曲の多重録音にも快く協力してくれて、数時間のレコーディングでたくさんの美味しいフレーズを録音させてもらえた。

たまにクローズ後の店内で社長が爪弾いているギターの音を、僕は東京で最もリアルなブルースだと思っている。演奏上のテクニックにおいてそれを最も感じるのがヴォリューム奏法。右手小指でヴォリュームノブを開きながら弦を弾くことでアタックを消し、ヴァイオリンのようなニュアンスを出す。そして社長はそこにオーヴァードライヴのエフェクターをつなぎ、アンプを絶妙にセッティングすることで、音の始まりの部分では歪んでいないけれど、ノブが回り切った時点では微かに歪みが現れている、というトーンを生み出す。クラシカルなテクニックだけど、社長はこれが非常に上手い。この奏法は特に「闇」「氷だけが」の2曲のラストでとても美しい効果を生んでいるのでぜひ聴いてほしい。今回録音をしていて、またミックスで何度もそれを聴き返す中で、一番自分の心の芯が震えた演奏はそこだったと思う。レコーディングが終わって機材を片付けている時に、社長が「またやろう、次はもっと上手く弾けるよ」と言ってくれたのが嬉しかった。

大事なことを書いていなかったけれど、社長の店の名前は「ワードオブマウス」。これはJaco Pastoriusのアルバム『Word of Mouth』から取られた名前だ。僕はこのアルバムとジャコというミュージシャンの偉大さを、社長を通じて知った。社長がしてくれる70〜80年代の話の中にもジャコはよく出てくる。来日公演のときに客席の後ろから登場したジャコに、社長は抱きついたらしい。

1つめのセクションでも書いたけれど、『Darkness』の多重録音のやり方は、『Word of Mouth』を意識したものだ。ジャコのような歴史的名盤を生み出せるとは思っていないけれど、音楽の素晴らしさや録音の面白さを教えてくれたあのアルバムのような、自由な実験性と愛に満ちたアルバムを自分も作りたいと思った。そしてそこに導いてくれた社長と店、あるいはギターと定食は、自分の青春の象徴の1つであり、言葉では感謝を綴りきれない。

 

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日高理樹 Riki HIDAKA
Electirc Guitar

ちょうど10年前、大学に入った年の冬に、知り合ったばかりの友だち数名と学校の施設を借りて展覧会をやることになった。自分はその頃イラストのような落書きのような絵を描いていたので、そういう作品を展示しつつ、展覧会の終わりに1人でミニライヴみたいなのをやらせてもらったりした。そのグループは大体が僕と同じ大学の生徒だったのだけど、学外の子も何人かいた。10年経った現在、DJやカメラマンとしてかなり名が知られている人もいる。その多くは付属の高校から大学に上がってきた子たちで、高校まで地味な公立校に通っていた自分には何となく華やかに見えた。

それはともかく、その集まりで知り合ったうちの1人がRiki Hidaka / 日高理樹くんだった。同い年で、彼はそのころ美大に通っていたと思う。そのグループ展には、当時CMで頻繁にやっていた地デジ化のキャラクター「地デジカ」を描いた油絵を1枚だけ飾っていて、なんだかバカバカしくて面白かった。でも展示中はなんとなく話しかけづらいというか、上記のような自分の変な気負いもあって、特に言葉は交わさなかったと思う。しかし、展示が終わった次の日くらいに僕が自分の作品を片付けに行くと、日高くんが1人で会場の床で寝ていた。しかも僕が会場に置いておいた大友克洋特集の『ユリイカ』を手に開いた状態で……それが面白くて笑っていると、日高くんが起きた。そして彼は傍にギターケースを持っていた。地デジカを回収したのち、スタジオか何かに行くところだったんだと思う。「ギター何使ってるの」みたいな話をしたあと、前日に僕が使ったアンプやギターがその辺にあったので、1台のJugg Boxに2つのギターを繋いで、軽くセッションのようなことをした。確か日高くんはフェンダージャパンのストラト、僕はグレコの古いストラト。日高くんはブルージィで良い雰囲気のフレーズを弾いていた。お互いの楽器を取り替えて弾いたりもして、日高くんは「うわ、これいいな。おれも新しいギター買おっと。じゃあね!」と言って、微笑みながら帰って行った。良いやつだな、会期中にもっと話せばよかったな、と思いながら自分も片付けをして、帰った。

それから長い間、日高くんと会うことはなかった。ただ、SNSをフォローし合ったりして、何となくお互いの近況のようなものは多少辿っていたと思う。日高くんが昔から活動を共にしていたOKAMOTO’Sや踊ってばかりの国、Jan and Naomiなどのグループはかなり活躍の場を広げていて、良いなあと思いながら眺めていたりした。最近は日高くんはジム・オルーク氏とともにツアーをやったりしていて、活動が華やかで羨ましいなあと思ったりもする。

だけど自分にとって重要なのはそんなことじゃなくて、日高くんがずっと日高くんのまま変わらずに進化しているということだ。展覧会の会場で1人で寝ていたあの時から、僕にとっての彼の印象はずっと変わらない。というか、だからこそ今の活躍があるんだろうなとも思うのだけれど。

常に流浪しているような感じ、誰にも縛られないのだけど、虚飾はなく、実直で謙虚な感じ。そこから出てくる、自然で綺麗で、ストリート感に満ちたジャンクな音。2016年の彼の楽曲「名もないからす」などは、その素晴らしい結晶だと思う。

2014年頃?から数年間、日高くんはニューヨークに住んでいた。なんでも、バイトしていたラーメン屋が出店するので自分も行くことにした、とのことで、やっぱり日高くんらしいなと思っていた。そんなわけで相変わらず会うことはなかったけれど、SNSを見たり、稀にメールをしたりしていたと思う。

そして次に会うことになったのは2016年10月、彼が帰国して東京で演奏するというので観に行った時のことだった。久しぶりだね、ニューヨークはどう? みたいな話をしたと思う。そのとき、自分がアルバムを制作していてそこに参加してほしいと言ったかどうかは覚えていないのだけど、今度一緒に何かやれたら良いね、みたいなことは話したような気がする。ただ、アルバムに色んなゲストを呼ぼうと考え始めていた時期だったので、日高くんにも入ってもらえたらなという気持ちはどこかにあったと思う。

そして年が明けて少し経った頃からメールでオファーをして、ニューヨークにいる日高くんに音源を送ったりし始めたのだった。当初は日高くんに現地で録音してもらった素材を送ってもらう形で進めようともしていたのだけれど、結局彼の次回帰国時にレコーディングをしようということになり、5月にその録音を行うことになった。

予め音源を聴いてもらってはいたけれど、演奏はほとんどその場の即興で進めて行った。日高くんは器用に何でもできるタイプのギタリストではないけれど、常に独特のノイジーなトーンを持った綺麗な音を出していて、フレージングも奇妙で美しい。それがピタッと曲にハマる瞬間が何度もあって、とても楽しい時間だった。録音の終わりには7年ぶりに即興のセッションを録音したりもして、日高くんが「ちょっと一杯飲みたいかも」と言ってくれて、駅前の居酒屋で少し飲んで別れた。日高くんは「こんな店がニューヨークにあったら、おれ毎日行っちゃう」と言って笑っていた。

今回のアルバムには、社長と日高くんという2人のギタリストに参加してもらっている。キャリアも年齢もスタイルも、全く違う2人だけど、自分にとって色々な意味で特別な存在で、自分には出せない音を出すギタリストだ。アルバムでは殆どの曲で僕がギターを弾いているし、必ずしもギターのゲストを呼ぶ必要はなかったと思う。ただ、アルバムにたくさんのゲストを呼んで豪華なものにする以上、ギターという自分にとって特別な楽器をフィーチャーする場面は入れたかった。そしてそこには、技術のみならず自分が色んな意味で手放しで好きだと言えるような、ある種のギターヒーローたちに入ってほしかった。そしてそれは予想以上の結果になった。2人の演奏が本当に素晴らしかったおかげで、彼らのアンサンブルを目立たせ、僕のギターを陰(=Darkness)に追いやる、というコンセプトを思いつくこともできた。聴き分けにくくなっている部分も多いけれど、イナタいブルースとフュージョンの響きの社長と、ストリート感に溢れるオルタナの気配を纏った日高くんのギターに、ぜひ耳を澄ませてみてほしい。

数年に一度会う、近いとも遠いとも言えない友人。でも一緒にギターを弾くと楽しい。そういう友だちはとても貴重な存在だし、日高くんと一緒にアルバムを作れて本当に良かったなと思う。

 

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松村拓海 Takumi MATSUMURA [from OWKMJ, 菅原慎一BAND, nariiki]
Piccolo,Flute,Alto Flute,Bass Flute

拓海さんは岸田さんと同じく多方面で活躍している方なので、僕から特別な紹介をすることは少ないと思う。そしてこれも岸田さん同様、「OWKMJ」で普段から一緒に演奏している同僚でもある。やはり拓海さんは僕より10歳くらい上で、全くの先輩なのだけど。

拓海さんはプロフェッショナルなジャズの音楽家で、その演奏技術はとても安定していてレベルが高い。でも、日本のクラシックやジャズの音楽家にありがちな偏狭な感じが全くない人で、色々なユニットや試みの場にフットワーク軽く参加しているし、しゃしくえのようなよく分からない音楽にも真摯に対応してくれる。名前の通り、海を拓くようなハートの持ち主だと思う。先述したけれど、これは江原さんとも通じる要素だと思っている。『Darkness』に色んな要素を入れ込んでいくにあたって、この2人はオーセンティックな技術と、それに基づいた柔軟な発想を授けてくれて、本当にありがたかった。

レコーディングに関しては、やはり今回のゲストの中で最も即興の割合と幅が広かったと思う。ピッコロ / フルート / アルトフルート / バスフルートの4本をその場で柔軟に持ち替えて対応してもらい、録れ高もとても多かった。美味しいフレーズが多すぎて、取捨選択に悩まされたくらいだ。ジャズのみならず、民族音楽やアンビエントっぽい響きだったり、ポップスらしいフレーズだったりをフレキシブルに使い分けながらも、何かのジャンルそのままという感じではない、オリジナルな演奏になっているのが素晴らしいと思った。拓海さんのフレーズが同時に複数本鳴っていて、それがアンサンブルの大部分を占めているようなパートなどもアルバム中にはちらほらある。前出の社長の項で「闇」の最後のヴォリューム奏法について書いたけれど、該当の部分には拓海さんのフルートの重厚で美しい霧のようなサウンドも複数ダビングしていて、個人的には今回のアルバムで「手練れ感」のある演奏がたまたま集結したポイントはここだと思っている。

1つだけ例外というか、特定のフレーズを吹いてもらったのが「ユートム(2009年の友に)」という曲。1stのレコ発の際に拓海さんに吹いてもらった即興的なフレーズを、レコーディングの現場で完コピして吹いてもらった。アルバムのヴァージョンはライヴの時とキーが半音違っているのだけど、録音の現場ですぐに吹きこなしていて流石だなと思った。

コピーしてもらったライヴの音源はYouTubeにも上げていて、以下の映像の3:08〜4:11あたりがそれに当たる。即興演奏とその再現、1stアルバムとの繋がり、という点において今回のアルバムで自分にとってとても重要なポイントになっている。

 

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横山匠 Takumi YOKOYAMA [from トゥラリカ, THE ACT WE ACT]
Modular Synth,Electronics

2011年の11月、ふと思ったことを何となくTwitterに書いたら、全く知らない人がリプライをくれた。

僕は2014年に自分の過去ツイートを一度全て消してしまったので、残念ながら元の投稿は残っていないのだけれど、確か『ローリングストーン』誌か何かの「歴代ギタリストベスト100」みたいなのを読んで、「日本人で選ぶなら西脇一弘さんと倉地公美夫さんを入れたい」みたいなことを書いたんだと思う。それを読んで上記の「感動した」という熱いリプライをくれたのが、名古屋でバンド「トゥラリカ」をやっている横山匠くんだった。趣味が近そうなのでお互いTwitterをフォローして、それからたまにリプライを送り合ったりした。でも匠くんも僕もネット上で見ず知らずの人と積極的にやりとりするタイプでなはい(多分)し、ものすごく話が弾んで仲良くなったというわけでもなかったと思う。

そうこうしているうちに約2年後の2013年夏、OWKMJのツアーで名古屋に行く機会があり、そのライヴを匠くんが観に来てくれて、初めて会うことができた。名古屋のブラジルコーヒー。楽しい1日だった。その少し後にも匠くんの別バンド「トキノミノル」の東京でのライヴを観に行ったり、交流が続いていった。2014年の夏には、共通の友人である音楽家・服部峻くんの大阪でのライヴセットで一緒にサポート演奏をしたりもした。服部くんの素晴らしい曲を一緒に演奏できて楽しい思い出になった。この時のバンドメンバーはとても豪華だったな。その年の暮れにはしゃしくえの1stの名古屋でのレコ発を匠くんが企画してくれて、本当にありがたかった。匠くんは当初トゥラリカで出演予定だったけれど、諸事情で変更になり、トキノミノルで出演。この日のKDハポンのライヴに関しては、自分たちの演奏に関してもイベントの内容についても、とても心に残っている。その後も2016年にトゥラリカの東京でのライヴに行ったり(これが自分が初めて生でトゥラリカを観た日だった)、昨年『Darkness』を発売した直後の5月には、トゥラリカを観に日帰りで名古屋まで行ったりした。これらもとても素敵な思い出で、強く心に残っている。こうして今に至るまで、数年に一度名古屋か東京で会う、という関係が続いている大切な友人が匠くんだ。

トゥラリカと匠くんの音楽について。知り合った頃にYouTubeか何かでトゥラリカのライヴ映像を初めて観た時、かなり独創的で複雑なことをやっていそうなのが聴き取れつつ、自分はまだ全体像が掴めていなかったと思う。でもそのあとに聴いたアルバム『苔の祭典』、そして特に現時点での最新作『黄金の靴』は本当に素晴らしい作品で、それから僕はずっと彼らのファンだ。後者のアルバムに入っている楽曲「デザイン」「ホバリング」「黄金の靴」のカッコよさと美しさは他に類例がないものだと思うし、自分は涙なしでは聴けない。

自分が何か批評めいたことを書くより、上記の音源を聴いて楽しんでほしいと思う。脱臼したようでいながらタイトなリズムとメロディー、実験に満ちた3者のアンサンブル、絶妙なアウトフレーズ、静物的な美しい歌詞、それらをポップにまとめあげるセンス…みたいなことは誰でも書けそうなのでとりあえず省略。そういった純粋に音楽的な面のみを観てもトゥラリカは素晴らしいと思うけど、それと同じくらい僕は彼らの「バンドらしさ」のようなものが好きというか、羨ましい。学校で知り合った男子3人が、音楽に対するストイックな姿勢を共有してやっている、ちょっと体育会系っぽいバンドの空気というか。しゃしくえをやっている山本くんと僕は高校の同級生だけれど、トゥラリカの3人のような屈託のない関係ではないような気がしている(それはそれで良いのだけれど)。自分は高校・大学とサークルや部活動をやらなかったし、そういう場で音楽的な趣向を共有する先輩や後輩、同級生と会うことはできなかった。今となってはそれが少し勿体なかったなと思うし、そんな関係性の中で実験的かつ風通しの良い音楽をやれているトゥラリカがとても羨ましいのだ。

匠くんにゲスト参加をお願いするにあたって、最初はギターでも何でも、とお願いしていたのだけど、最終的には彼が最近トゥラリカにも導入しているモジュラーシンセで参加してもらうことになった。1回モジュラーの音源をいくつか送ってもらった後、追加で少しオーダーをさせてもらい、2回分の音源を僕がコラージュし、そこに青木くんの奇声を組み合わせて「To The Dark, Some Vocal Cords」というトラックを作った。ここには日高くんと社長のギターも入っているけど、軸になっているのは匠くんのモジュラーと青木くんの奇声なので、この2人がいなければ生まれなかった曲と言って良い。今回のアルバムの中でもかなり奇抜でファニーな曲だと思うのだけれど、昨年5月にトゥラリカを観に名古屋へ行き大西さんと話した際、彼は「アルバムの中でこの曲が一番好きかも」と言っていて、やっぱりトゥラリカは良いバンドだなと思った。大西さんの項でも書いたけれど、やはりトゥラリカは自分にとって同年代のとても大切なバンドの1つで、一緒に成長していけたら良いな、というようなことをしばしば思う。

 

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ヨロズユイ Yui YOROZU [from ぬらりひょん, citrusplus]
Vocal

ヨロズユイさん(通称ずんちゃん)は大学が同じという関係で知り合ったのだけど、在学中はあまり接点がなかった。大学の同級生3人で「ぬらりひょん」というバンドをやっていて、そのレコーディング作業を卒業直前に頼んでもらったのをきっかけにして友だちになった。最近では、先日彼女たちがYouTubeで発表していた新曲の録音とミックスも担当させてもらっている。

ずんちゃんは数年前に一時期大阪に住んでいたことがあり、前述の服部峻くんのライヴで大阪に行った際に家に泊めてもらったりもして、次第に仲良くなった。その後しゃしくえのライヴにも2回ほどゲストヴォーカルとして参加してもらっている。そのうち1回は、1st『キラリティ』のレコ発。OWKMJに手伝ってもらって大人数の編成で演奏したこの日のライヴは、ずんちゃんのパワフルなヴォーカルなしでは乗り切れなかったと思う。彼女は誰に対しても明るく気さくに振る舞うムードメイカー的な人で、自分のような挙動不審な人間ともフランクに色々な話をしてくれるので、今でもたまに飲みに行ったりするのが楽しい。

かなり語弊があるけれど、ぬらりひょんの音楽やずんちゃんのヴォーカルは、僕たちが育ってきた平成後半という時代における、かなりオーソドックスなバンド音楽のスタイルを踏襲したものだと自分は思っている。いわゆるJ-POP的なもの、とも言えるかもしれない。しゃしくえのメンバーである大福のヴォーカルにもJ-POP的な要素はあるけど、彼女の歌がアニソンやクラシックの声楽っぽい雰囲気を纏うことが多いのに対して、ずんちゃんの歌には日本のロックバンドやカラオケ、あるいはJ-ROCKっぽい気配を感じることが多い。……などと僕が言うと嫌味っぽく聴こえるかもしれないけれど、そんなつもりはなく、ずんちゃんの歌にはその上に独特のソウルフルな質感が加わっていて、自分はそのポジティヴな歌声がとても好きだ。クリアな声とJ-POP特有のコブシで自分の曲を歌ってもらうと、メロディに息吹が与えられたように感じる。ずんちゃんには1曲目の「流れの中のありがとう(Thanks For Your River)」のヴォーカルをお願いした。アルバムの中で最も勢いのある曲で、彼女のパワフルで艶やかな声の力を借りたいと思ったからだ。

そしてもう1点、先ほど書いた「J-POPぽさ」をアルバムの中に1つの要素として加えたかった、という理由もある。このあたりは言葉にするのが難しい部分も多いのだけれど…現在の日本において、平成的な「J-POPぽさ」というものは、特にある種のコアな音楽家やリスナーのあいだでは、忌避されるべきもの、ダサいものとして認識されることが多いように思うし、自分もそう感じることが多い。ただ、僕が小学生の頃から今に至るまで、さまざまな音楽を知り、好きになってきた中で、平成のJ-POPというものが大切な最初の入り口であったことは間違いないし、今も自分の中で隠すことのできない音楽の基盤として存在している。そうした原点のようなものを、無自覚のうちに扱うのではなく、取り繕うのでもなく、あるいはパロディやオマージュっぽいやり方でアイロニカルに引用するのでもなく、ナチュラルに音楽の中へ取り入れたかった。そしてそれを、実験的でありながら、同時にポジティヴで素直なやり方で形にしたかった。自分とは違い、高校・大学と学校でバンドを組み、コピーをしたりオリジナルを作ったり、といういわば王道的なバンド人生を送ってきた彼女の音楽には、そういったJ-POP的なマナーや技術が、自然な形で根付いているように自分には思えたのだった。それは僕にとってある意味、トゥラリカが放つ輝きのように清々しくて羨ましいものでもある。

今回、ずんちゃんと大福のヴォーカルを録音するにあたって、そしてそれを複雑な多重録音とアンサンブルに混ぜ合わせていくにあたって、そういったことを考えていた。ずんちゃんのストレートでパワフルな歌は、そんな思惑を一直線に形にしてくれたと思う。僕とは正反対な、明るくて懐の深い人柄の彼女とのレコーディングはとても楽しかった。何テイクも重ねるうち、この曲のメロディには、彼女の喉から生まれた新しいフレージングが加えられた。ほんのわずかな歌い回しのアレンジだけれど、そこには自分が愛するJ-POPのフィーリングが凝縮されているように感じた。もちろん完成した音源にはそのテイクが採用されている。どの部分の「コブシ」か、想像してもらえたら嬉しい。

 

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ゲストに関する文章は以上だ。
やはりそれぞれのプロフィールを書くというよりは、自分の思い出話のようなパートの割合もかなり多くなってしまった。でも、今回参加してくれた10人がいずれも自分にとって特別な存在で、技術や表面的な面白さのみを求めて声をかけたわけではなかったこと、そしてその共同作業の内容と結果が自分の思った以上のものになったことなどを、ここで書いておきたかった。

もしかしたら次のセクションが最後になるかもしれない。
なるべく短くまとめたいとは思っているけれど、現時点で合計40000字くらいに達している。

2020年5月19日 22:27